俳句ポスト365結果発表

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第165回 2017年2月9日週の兼題

渡り漁夫

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天

渡り漁夫夢に哀しき牛と妻
香壺
ニシンの漁期が近づく春先、北海道の網元に雇われて、海を渡る漁夫たちが「渡り漁夫」。東北地方の農民が多かったそうです。他の漁師ではなく、季節労働者としての「渡り漁夫」をどう描くのか。難しかったですね。
「渡り漁夫」らしさを、「東北の農民が多かった」という事実に求めたのがこの句。元々は農民ですから、恋しいのは海ではなく、土。そして、先祖伝来の土地を共に耕してきた「牛と妻」なのです。
ならば「夢に恋しき牛と妻」と書いてもよさそうなものですが、「渡り漁夫」の働く過酷な現場は、悠長に「恋しき」と詠嘆していられるようなものではなかったのでしょう。大地を離れ、海に網引く我が身の辛さ、しんどさ。まだまだ雪に閉ざされているに違いない故郷で、「牛」の世話をしつつ、父母子どもと懸命に留守を守ってくれる「妻」を思うにつけ、「哀しき」という感情がひたひたと心に満ちてくるのです。
場と状況と人物を一気に伝える「渡り漁夫」という季語の後に、「夢に哀しき」と抽象的な中七を置き、最後に「牛と妻」と極めて具体的な生き物と人物を出現させる。この語順が一句の要。よく考えて仕上げられた作品です。

地

渡り漁夫云う魚群は黒き雪崩だと
ぐわ
「渡り漁夫」と同じ現場の季語として「鰊群来(にしんくき)」があります。産卵期のニシンが大群で北海道西岸に回遊してくることを意味します。雌が産んだ卵に、雄が放精するため、海の色が乳白色になるのが群来(くき)の現象。私はまだ観たことがないのですが、想像するだけで凄いなあと思います。
そんな鰊の群れを、「渡り漁夫」たちは「黒き雪崩」だと語るのだという一句。この「黒き雪崩」がやがて、産卵・放精によって乳白色に変わることまでが想像できる、迫力のある作品です。
同時投句「風の名を覚え三年渡り漁夫」にも惹かれました。
渡り漁夫なぶらに放り込む山気
かもん丸茶
「なぶら=小魚の群れがフィッシュイーター(ハマチやブリ、スズキなど)に追われて、局所的に海面にさざ波立てて逃げる様子」なのだそうです。「山気(やまけ)」は山師のような気質、辞書的にいえば「万一の幸運を頼んで、思い切って事をしようとする心。やまき」という意味になります。
実際に「なぶらに放り込む」のは漁網ですが、それを「山気」を放り込むのだと言い切ったところにオリジナリティがあります。鰊は宝の山とも言われた時代を思う時、「山気」という言葉はかの時代ならではの臭気をもって、私たちの前に立ち現れます。
目頭の塩穿りたる渡り漁夫
さるぼぼ@チーム天地夢遥
「穿(ほじ)り」とは、よく言い放ったものです。網を引く飛沫、鰊の跳ねる潮が「目頭」に溜まり、固まり、「塩」と化しているというリアリティ。それを「穿りたる」のは、網を引き揚げ終わってホッと一息ついた頃でしょうか。乾いて硬くなった「塩」をごりごりと取る指の感触をリアルに追体験させる作品。最後に「渡り漁夫」という季語が出現することによって、北海道の春荒れの海かもしれないという想像も広がります。
雪浴びてしょっぱき躯渡り漁夫
うに子
「雪」との季重なり。三大季語の一つである「雪」は大きな世界を持っているのですが、それを脇役に据えて「渡り漁夫」を主役として描いた、巧い作品です。海の「雪」をさんざん「浴び」た己を「しょっぱき躰」と味覚のイメージで表現したリアリティ。「浴び」という動詞の効果もよく見極めています。
ここらとは違う日焼けの漁夫来たる
三重丸
「ここらとは違う日焼け」という把握にリアリティがあります。言われてみると、「日焼け」にも様々な特徴があるよな、と納得。潮焼けの赤茶けた日焼けではなく、農業に従事する人たちの日焼けはもう少し穏やかな感じ。「渡り漁夫」ではなく「漁夫来たる」という表現も、この場合は適切ですね。
所詮渡り漁夫だと母に諭される
こま
この一行だけで、ドラマが一本撮れるそな一句。気風もいいし、男前だし、優しいところもあるが、「所詮」は「渡り漁夫」なのだよ、と娘を諭す「母」。が、その「母」もかつては「渡り漁夫」に恋い焦がれた若き日があったのかもしれません。ひょっとすると、作中の娘こそが「渡り漁夫」の子? ……なんて妄想が次々に広がってしまいました。
潮騒の揺らすラムプや渡り漁夫
糖尿猫
「潮騒の揺らすラムプ」という陰影、かすかな潮の匂い。美しい表現ですから、海辺の別荘かしら、お洒落な店かしら……と想像させておいて、中七「や」の切れの後に出現するのが、下五「渡り漁夫」。この語順の効果、巧いですね。季語が出現したとたん、別荘もお店も消えて、鰊漁の番屋となる。そのとたん、ムッと鼻を衝く魚臭もしてきます。そこに「渡り漁夫」の悲哀も揺れ始めるのです。
死者四人同じ苗字の渡り漁夫
永井潤一郎
「死者四人」が「同じ苗字」であるという事実。親子だったか、兄弟だったか、その一人は叔父であったか。農閑期の稼ぎとして渡ってきた北海道の海で命を落とした「渡り漁夫」たち。引き上げられた遺体を呆然と眺める仲間の漁夫たち。訃報が故郷の届く日の悲しみまでもが想像される一句です。
渡り漁夫番屋に病みて炉を守る
留野ばあば
体調を崩して漁に出られない「渡り漁夫」もいるに違いありません。働ける働けないは、当然賃金に跳ね返ってくるはずです。「番屋に病みて」という中七で状況が端的に読み取れ、「炉を守る」という下五によって人物の姿が描写される。一語一語が丁寧に選びとられている作品です。
渡り漁夫ケロリン売るほど持ちました
初蒸気
「ケロリン」とは解熱鎮痛薬の名前。大正14年に誕生したとのことですから、日本の家庭薬としての歴史はそれなりに長い。
大正時代は鰊漁が大規模になっていったそうですが、鰊の来遊が南から順に次第に途絶え、昭和30年代には北海道でも激減したとのこと。となると、この「渡り漁夫」は昭和の初めから20年代までぐらいを生きた人物ということになりそうです。
頭痛持ちの「渡り漁夫」にとって、「ケロリン」は無くてはならない戦友。「売るほど持ちました」は、この作家お手の物のユーモアですね。

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