俳句ポスト365結果発表

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第167回 2017年3月9日週の兼題

菜の花

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天

菜の花やメルトダウンは千年前
このはる紗耶
一読、ギョッとします。「菜の花」「メルトダウン」「千年前」三つの単語を、二つの助詞がつないでいるだけの句ですが、その内容の奥行にギョッとするのです。
「メルトダウン」という言葉をおさらいしておきましょう。コトバンクには以下のような解説。【メルトダウンは炉心溶融とも呼ばれる原子炉の重大事故の一つ。冷却系統の故障により炉心の温度が異常に上昇し、核燃料が融解すること。燃料の大部分が溶融し、圧力容器の底に溜まった状態をメルトダウンとし、高温により圧力容器の底が溶かされて燃料が容器の底を突きぬけることをメルトスルー(溶融貫通)と呼ぶ。】日常報道に「メルトダウン」という用語が使われる現実。今更ながらに怖ろしいことです。
季語「菜の花」は、一本一花ではなく、咲き広がるさまを想像させます。上五「菜の花や」は、広々とした菜の花畑と、そこに差す春日や春風をも思わせます。「や」は強調・詠嘆の意味を発揮しつつ、カットを切る役目もします。
そして、切れ字「や」の後にでてくる「メルトダウン」という禍々しい単語。さらに下五へと続く意味を読み取れば、「メルトダウン」の事故が起こったのは「千年前」であったことが分かる。「千年前」の「メルトダウン」とは、まさに私たちが生きている現代の重大事故。この「千年」とは、まだ半減期の途中なのでしょうか。コトバンクによると、「半減期」=【放射性元素が崩壊して、その原子の個数が半分に減少するまでの時間】は、元素によっとそれぞれ違い、例えば【ウラン238では45億年】かかるのだそうです。
「メルトダウン」から千年たった地球には、眩しいほどの「菜の花」が咲き広がっています。どこまでもどこまでも、在るのは「菜の花」ばかり。この世のものとは思えない「菜の花」の黄色を美しく眺めているうちには、ハッと気づくのです。「千年前」の「菜の花」ってこんなに激しい黄色だったか……と。よくよく近づいてみると、眼前の「菜の花」の一花一花の大きさに驚きます。「菜の花」の一本一本は、まるで蓮の葉のようにゆらりゆらりと風に戦いでいるではないか……。そんな想像に囚われて、慄然としました。「メルトダウン」千年後の未来、そこに咲く「菜の花」を皆さんはどう想像しますか。

地

菜の花を黄色はみ出してはないか
鞠月けい
「いちめんのなのはな いちめんのなのはな」と詠ったのは詩人山村暮鳥ですが、一面の「菜の花」が風に揺れるさまを見ていると、一花一花の「黄色」が「はみ出して」いるかのように思えてならない、というのです。「菜の花を」の「を」が巧いですね。一面に咲き広がる「菜の花」らしさを確保しつつ、「はみ出してはないか」という呟きが、詩的リアリティとなって広がります。
なのはなの黄つ黄黄つ黄とこすれあふ
鈴木牛後
これも風の中の「なのはな」なのだと思いますが、「黄つ黄黄つ黄」が菜の花の色でありつつ、「こすれあふ」様子を表現し得ていることに驚きます。目で見た印象の「黄」と、耳で聞く「キ」という音の印象が「こすれあふ」という描写で統合されてい。巧い工夫だと思います。
菜の花や川はまつたいらに進む
耳目
「川はまつたいらに」は、水量がゆたかになってくる春の川の描写でしょう。川辺にそって咲き広がる「菜の花」に焦点を置くと、「川」はまるで「まつたいらに」進んでいくのかよう。眼球に映った様子を、こんなふうに正直に描くことで、詩を発生させることもできるのですね。
菜の花の空の大いに立方体
ウェンズデー正人
季語「菜の花」は、一花一花を認識するというよりは、咲き広がる広さを内包しています。「菜の花」の平原を平面と考えると、その広さに対応する「空」とは、実に「大い」なる「立方体」であるよ、という一句。立方体の底辺は黄色、上辺は空の青。鮮やかな「立方体」です。
菜の花やとおくのまちのちさきみせ
さな(5才)
「菜の花や」でカットが切れるのですが、眼前にあるのはやはり「菜の花」だけです。「とおくのまち」にある「ちさきみせ」のことを思い出している、その心にあるのは懐かしさでしょうか、淋しさでしょうか。平仮名ばかりで書かれた中七下五が、しみじみと思いを広げます。
以下は、さなちゃんの祖母誉茂子さんのコメントです。
●「ちさき」なんて言葉をどこで覚えたのでしょうか? 「ちいさい」でもいいのよ。と言うと「ちさき」なんだそうです。/さな(5才)
菜の花に緑の蕾百七こ
むらさき(4さい)
一物仕立てで作る時、季語に対する取材方法として、数えてみるのも一手です。「菜の花」の一茎に「緑の蕾」は一体何個あるかしら?と数えてみたのです。「百七こ」という数詞は、想像では言い切りにくい数字ですが、実際に数えてみた強みが、一句のリアリティを支えます。
菜の花が送電線焦がしたのだ
月の道
「菜の花」の平原には「送電線」の連なる鉄塔が並んでいるのでしょう。夕日の当たる「送電線」の光景でしょうか。夕日が「送電線」を焦がしたのではなく、「菜の花」の黄色が「焦がしたのだ
と断定することで詩が生み出されます。夕日の中の「菜の花」も勿論みえてきますね。
なのはなにハレルヤハレルヤなぶられに
とおと
「なのはな」の後にでてくる「ハレルヤ」とは、主をほめ賛えよ、の意。キリスト教会の聖歌・賛美歌に使われる言葉です。「なのはな」の真ん中で「ハレルヤハレルヤ」と神を賛美する歌を高らかに歌う! かと思いきや、下五「なぶられに」にギョとさせられます。「なのはな」が歓喜の歌を歌う時、その茎はゆらゆら揺れて、私たちの体を打ちます。「なのはな」は英語でrape blossomsと書くのだと知った時の衝動が、鮮やかによみがえってきた一句。
菜の花やなんと明るき畜生道
葦信夫
「畜生道」とは、二つの意味があります。【① 〔仏〕 六道・三悪道・十界の一。畜生の世界。悪行の結果、死後生まれ変わる畜生の世界。畜生趣。 ② 人間として許し難い行為や生き方。】どちらの意味に解しても、それなりの読みが生まれます。死後生まれ変わってみると、悪行の因果応報で「畜生」に生まれ変わっていることに気づく。あるいは、人間として遂にここまで堕ちてきたかという感慨。「なんと明るき畜生道」という一種の開き直りが、眼前の「菜の花」をさらに明るくします。
菜の花を眼下に焼き場後にする
理酔
「焼き場」の「眼下」には「菜の花」が広がっています。親族の死でしょうか、友人の死でしょうか、はたまた堂々と最後のお別れができない人物の死でしょうか。「菜の花」の明るさが、まだ死を受け入れがたい心に刺さります。
菜の花や存外太い骨なれど
としなり
「存外太い骨なれど」を、魚や食肉の「骨」だと解釈してもよいのですが、荼毘にふした後の遺骨ではないかと読みました。まだ熱の残る骨を眺めながら、故人の「骨」の太さを語りつつ、長く太い箸で「骨」を拾いつつ、「存外太い骨なれど」骨壺に入れようとすると、案外簡単に折れてしまうことに、再びの涙もこぼれます。

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