俳句ポスト365結果発表

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第191回 2018年3月8日週の兼題

金盞花

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天

おひさまが凸なら凹のきんせんか
薄荷光
「金盞花」と太陽はベタな取り合わせなのに、ここまで単純化すると、むしろそれぞれの形が個性として認識されるのだなと、愉快になりました。「おひさま」という巨大な球体が「凸」で、「きんせんか」という小さな花が「凹」。この二つがお互いに対峙して、熱を放ち、熱を受け取っているのです。
「金盞花」の「盞」は、杯(さかずき)を意味します。金色の杯のような花。その特徴を「凹」の一字で表現してしまう発想が楽しくも見事。「おひさま」「きんせんか」の平仮名表記も、その楽しさにマッチしています。金盞花の栽培は、太陽の溢れる海に程近い地が多いと聞くと、太陽を照り返す海の匂いもしてきそうな一句です。

地

花桶や金盞花ある方を買ふ
まどん
私の生まれた地方では、墓には樒(しきび)という木の枝を供えます。「金盞花」が仏花であるという認識がなかったので、お墓に金盞花が飾られているのを見る度に、なんで?と思ってました。逆に、関東から嫁いできた句友は、愛媛のお墓には木が挿してある!と驚いたそうです。
「花桶」を持って、仏花を買いに行く。いく種類かの束が売られているのだけれど、やはり「金盞花」が入っている方を買うという行為が、自然なものとして描かれているところに味わいがあります。
金盞花讃岐一国晴れの国
きのと
栽培地としての「讃岐」へのご挨拶句。名詞を畳み掛けての三段切れではありますが、それを逆手にとってリズムを巧く作り上げました。漢字が並んでいるのに、重い気分ではない。まさに晴れ晴れとした句になっているのは、「讃岐」を言祝ぐ「晴れの国」という言葉の力に違いありません。
金盞花群れゐてふためきの磁針
ウェンズデー正人
「金盞花」は結構好き嫌いが分かれる花ではないかと思います。見ようによっては明るくエネルギッシュだし、見ようによっては鬱陶しく不穏な気持ちにもなる。そこがまたこの花の特徴です。
「ふためき」とは動詞「ふためく」の連用形が名詞化したもの。【①ばたばたと音をたてる。② あわてる。騒ぎ立てる。】の意味があります。「金盞花」が群れ咲いている所に来ると、「磁針」が「ふためき」始めたというのです。「ふためきの磁針」は、「金盞花」に対する作者の心のざわめきでもあるのでしょう。
金盞花ようこそぜつぼうの国へ
とおと
「ふためきの磁針」という受け止め方をさらに突き詰めていくと、「ぜつぼうの国」という言葉もでてくるのですね。「金盞花」という花の色や形状に対する違和感かもしれませんし、仏に捧げる花が群れ咲いている光景への心理的拒絶感かもしれません。「ようこそ」と迎えいれる温かい言葉は、続く「ぜつぼうの国へ」という措辞で、一転します。
「金盞花」には申し訳ないが、私も、こっち派の感じ方をしてしまうものですから、この句は天に推したいほど魅力的でした。
足萎への汗の匂ひぞ金盞花
克巳
一読、子規の短歌を思い出しました。「足なへの病いゆてふ伊予の湯に飛びても行かな鷺にあらませば」 足が萎えて歩くことができない病気が治ると伝えられている伊予の湯(故郷の道後温泉)に飛んで行きたいものだなあ。もし、自分が鷺だったなら……という意味です。この短歌は、松山市子規記念博物館前にも歌碑として刻まれています。
「金盞花」は臭い花なので、その匂いを詠んだ句もありましたが、この比喩は強烈にして生々しい。まるで子規が現代に生きていて、「足萎へ」である自分の「汗」を自嘲しつつも、明るく笑い飛ばしているかのように思えました。「金盞花」という季語の持つ二面性をうまく使いこなした作品です。
斜陽の金盞花児らの掌には鍵
エリザベス
夕日の栽培畑の光景でしょうか。一面に金盞花が植えられている公園かもしれません。「斜陽の金盞花」は、夕日の色と一体となっていく様子を描写しています。
傍らには「児ら」が佇み、それぞれの「掌には鍵」が握られている。鍵っ子たちもまた「斜陽」の光の中にあります。こんな句に出会うと「金盞花」は淋しい花でもあるのだなと、認識を新たにします。
幸せの金盞花咲く黒い家
なみは
かたやこちらは「幸せの金盞花」とストレートな措辞で始まります。が、後半一転して「黒い家」となる展開にハッとします。「黒い家」とは文字通り、黒い外壁の家なのか、心理的な黒なのか、喪の家なのか、読みは行く通りかに広がっていきます。「幸せの金盞花咲く」というシアワセそうなフレーズは、皮肉にも哀しみにも受け止められていく、言葉の二重構造。
アンドレはナポリの漁師金盞花
樫の木
一転して、なんと明るい「金盞花」でしょう。「アンドレはナポリの漁師」という人物の出現で、「金盞花」は海の光と風とまとった存在として咲き広がります。「金盞花」の庶民的なイメージも「ナポリの漁師」という土地柄や職種に似合っています。「アンドレ」は胸板の厚い、日焼けした好青年か。漁師としての矜持をもった中年のおじさんか。そんなことを想像してみるのも楽しい。
ひらひらと走り来る豚金盞花
月の道
「豚」と「金盞花」の取り合わせは意外でしたが、「ひらひらと走り来る豚」が、我が眼前にありありと出現したことに驚きました。絵本の世界のようでもあり、放し飼いの豚がいるような外国の農家のようでもあり。「金盞花」は食べちゃだめ!と追いはらう、エプロンおばさんまで想像できて、これまた楽しかった。
定年にも力要りけり金盞花
大塚迷路
「定年」退職ですね。長年のお勤めご苦労様でしたと挨拶されても、今日から毎日が日曜日ですね!なんて言われても、うーんなんか違うんだよね……と思ってしまう。「定年にも力要りけり」という呟きの正直さ。庭の「金盞花」と共に過ごす日々もまた、それなりに「力要りけり」ですものね。共感の一句。
金盞花縁というのは努力やで
まどん@最近胸に響いた言葉。
オマケというのもなんですが、「定年」の句を眺めていると、まどんさんの同時投句がほのぼのと思い出されてきました。
「縁」というものは、偶然だったり仏や神の配慮だったり。有り難い出会いでありましたと感謝するものというイメージがあります。が、「縁」を継続していくのは「努力やで」と人生の先輩に諭されたのかもしれません。努力なくして繋がり続ける「縁」はない。含蓄の深い言葉です。派手なような地味なような「金盞花」は、この格言に似合うなあと感銘を受けました。

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