俳句ポスト365結果発表

  1. TOP >
  2. 結果発表 >

第199回 2018年6月28日週の兼題

  • よしあきくん一期一会の一句
  • 初心者向け解説コーナー今週の俳句道場
  • 今週のお便り
  • 人・並選の俳句
  • 天・地の俳句

天

恍惚の口より佛出て踊る
杏と優
一読、空也上人像の口からでている六体の「佛」を思いました。日本史の教科書に載っていたのは六波羅蜜寺の「木造空也上人立像」。大きな頭と痩せた脚。首から鉦をぶら下げ、右手に撞木、左手に杖。唱えた念仏が口から出ると佛の姿になっていく、という木像です。
踊ることも念仏を唱えることも、続けていると次第に「恍惚」としてきます。恍惚とは、心奪われてうっとりするさま。舞踏的恍惚と宗教的恍惚が一致していく、それが季語「踊」の本質なのでしょう。死者の魂を念いつつ踊り続ける姿は、まるで「恍惚の口」から吐き出された「佛」が踊っているかのよう。やがて「佛」と我は渾然一体となり、「踊」の輪は輪廻のごとく回り続けるのです。

地

踊りけり一遍さんの背を追うて
樫の木
空也上人の影響を受けたのが、一遍上人。踊り念仏を通して、人々に「南無阿弥陀仏と唱えれば往生できる」と教えました。「踊りけり」と詠嘆したあとの「一遍さんの背を追うて」は、一種の比喩。一遍上人の背を追うかのように踊り続けるよ、という詠嘆です。この句もまた、舞踏的恍惚と宗教的恍惚を描こうとした一句でしょう。
踊終へあちらの闇は掴めさう
ヒカリゴケ
季語「踊」は、亡くなった人の魂を迎え、送るためのものですから、「闇」という言葉を取り合わせた句はたくさんあります。が、「あちらの闇は掴めさう」という表現には、季語「踊」の現場で感知する「闇」への心理的手触りがあります。恍惚の残る指先にひやりと触れる妖しさ。「あちら」とは黄泉へと続く闇なのかもしれません。
煙草火の櫓にいくつ踊の夜
ウェンズデー正人
こちらは実景です。広場の真ん中に組み上げられた「櫓」の上には太鼓を叩く男たち。櫓下辺りにも世話役の男たちが屯しているのでしょう。幾つも見える「煙草火」は「踊の夜」の印象として、心に刻まれている光景なのかもしれません。「煙草火」だけで「踊の夜」を描こうという意図が成功している作品です。
長身の住職未だ踊り下手
ギボウシ金森
お父さんのあとを継いだ若い「住職」ではないかと読みました。「長身」なのですぐに「住職」だと分かるんだけど、なんとも「未だ」に「踊り」だけは「下手」。でも、その下手を喜ぶ檀家衆の笑い声も聞こえてくるよう。愛されている「住職」なんでしょうね。
女らはゆの字となつて踊るかな
くらげを
人の様子を平仮名に喩える発想の句は時折りみかけますが、「踊る」人の姿を「ゆの字となつて」と表現した点に詩的リアリティがあります。「女ら」という複数の「ゆの字」が、くねりくねりと静かに踊る光景が、ありありとみえてきました。
盆踊りあれは隣の養子とか
ツーちゃんの恋人
おや、見かけない顔が踊ってるけど、あれは誰だろう。「あれは隣の養子」らしいよ、という噂話がひそやかに交わされているのでしょう。「養子」には二通りの意味がありますが、娘が養子をとったという意味に受け取るほうが、明るい俳諧味があるかと思います。
踊の輪大音量にゆがみけり
みくにく
大きな大きなスピーカーが設置されている辺りにくると、あまりのうるささに思わず「踊の輪」が歪んでしまうというのです。よく観察してますね。「大音量に」の「に」は、それが原因でという意味。助詞の使い方も的確です。
鳴り響く盆地の底を踊りけり
くりでん
「盆地の底」という表現はよくありますが、「鳴り響く盆地の底」という音の厚み、「盆地の底を踊りけり」という作者の位置の描き方が巧い作品です。特に、「盆地の底を」の「を」という助詞の効果をよく理解しています。助詞を知ることは、表現の巧さにつながります。
陸奥の闇に蒸されて踊りけり
ラーラ
「踊」と「闇」ですが、「陸奥の闇」となると、闇そのものが性格付けされるという効果を持ちます。「陸奥」のお盆も蒸し暑いのでしょう。「闇に蒸されて」という表現に皮膚感としてのリアリティがあります。汗と人いきれに蒸される「陸奥の闇」です。
踊つたり飲んだり足をくじいたり
よだか
亡くなった人の魂を迎え、送るのが「踊」だけど、この夜の記憶といえば踊りに「踊つたり」、羽目を外して「飲んだり」、調子に乗って跳ねすぎたり酔っ払って「足をくじいたり」。だらだらと「~り」を重ねるリズムが、一句に内容に似合ってます。切れのない型を選んだ作者の工夫が成功しました。

ページの先頭