俳句ポスト365結果発表

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第206回 2018年10月4日週の兼題

炬燵

  • よしあきくん一期一会の一句
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  • 人・並選の俳句
  • 天・地の俳句

天

遊郭の如き炬燵の灯りかな
あー無精
電気炬燵が売り出された当初、中の熱源は無色だったそうです。赤外線自身は赤くはないのに、なぜ「炬燵」の赤外線ランプは赤いのか。それは、スイッチを入れているか否かが一目で分かるように、というメーカー側の工夫だったということを初めて知りました。
一家団欒のイメージが強い「炬燵」ですが、その本意は、怠惰・孤独・卑猥など複雑な要素を持つ季語であることを改めて思い知らされました。赤外線ランプの独特の赤を「遊郭の如き」と比喩したこの一句は、赤線という言葉が生き残っていた時代を思わせます。「炬燵」の中で絡み合う足、熱っぽくくぐもった嬌声、白粉の匂い等を残像として、赤外線ランプの「灯り」を眺める作者がいます。

地

聞分けの悪い炬燵を飼うてゐる
すりいぴい
「聞分け」が「悪い」のは「炬燵」ではなく、我々人間のほうなんだけど、こうでも言わないと「炬燵」から抜け出せないのだね。「飼うてゐる」という擬人化が鼻につかないのは、「聞分けの悪い炬燵」という存在への、怠惰な共感のせいか。
こうなれば炬燵と心中していいか
大塚迷路
ここまで抜け出せないのならば、もう「炬燵」と「心中」してもいいという呟きが可笑しいよ。「こうなれば」が、どの程度の「こう」なのか。想像すればするほど、孤独にも卑猥に諦めにも読めて、ますます可笑しいのだよ、迷路さん。
墓炬燵凡そ同じなりかたち
きゅうもん@木ノ芽
「墓」と「炬燵」がおんなじ「なりかたち」であるという発見というか定義というか、その飄々たる呟きがこれまた可笑しい。「炬燵」に籠もりつつ、「墓」の中に入った時の気分ってのは、こんな感じなのかなあと考えているに違いない作者の「なりかたち」も可笑しいのだよ、きゅうもんさん。
炬燵を少し離れて四方に家具の立つ
一阿蘇鷲二
馬鹿馬鹿しいと思う読者もいるかもしれません。「炬燵」を「少し離れて」いる辺りの「四方」に「家具」がそそり立っているのです。小さな部屋の真ん中にちんまりと置かれた「炬燵」、部屋の「四方」をかためるように置かれた家具。「炬燵」に足を突っ込んで、「家具」を見上げているに違いない作者までが、否応なく見えてくる。これも立派な俳句です。
運ばれる炬燵の骨の淋しさう
かのたま
「運ばれ」てくる「炬燵の骨」は剥きだしです。部屋の真ん中に置かれ、炬燵布団がかけられ、赤外線ランプが赤く点くまでは、「炬燵の骨」は所在なく淋しい存在なのです。「運ばれる」という動作。それを眺めている作者の「淋しさう」という呟き。淡々とした語り口に味があります。
七並べのキング炬燵の端を落つ
かをり
「炬燵」とトランプの取り合わせはいかにもありそうな類想ですが、後半の描写が見事です。「炬燵」の天板いっぱいに並べている「七並べ」。その端っこに置かれた「キング」の札が、「炬燵の端」から落ちた瞬間を切り取った一句。「炬燵の端を落つ」という描写の精度が天晴れです。
金貸は奥の炬燵に居るらしき
キッカワテツヤ
こんな「金貸」を見たことがあるような気がしてきます。それが、この句の底力なんだなあと思うのです。金を借りにいったけど、主人である「金貸」は出てこないで、番頭か奥さんかにあしらわれているのでしょうか。「奥の炬燵に居るらしき」という気配が、いかにも憎々しい。映画の一場面のような一句です。
炬燵の微睡み日本負けていた
或人
「日本」を応援するためにずっとテレビを観てたのに、「炬燵」があまりにも気持ちいいもんだから、ついついの「微睡み」。ハッと気がつくと「日本負けていた」! 負けた悔しさと見逃してしまった悔しさ。二重の悔しさが、可笑しい一句。
こたつのなかにおかあさんのばかとかく
碧女
「こたつ」の中にもぐっているのは、「おかあさん」に叱られたからでしょうか。面と向かって言えないものだから、「こたつ」の中で「おかあさんのばか」と書いている子。お絵描き帳か、折り紙か、そんなものにクレヨンで書いてるに違いない子が見えてきて、抱きしめたいほど可愛いよ。
猫でなく炬燵に何かいるような
風来松
「炬燵」と「猫」も、いかにもありそうなテッパンの類想ですが、「猫でなく」となれば一気に面白くなってきます。いつもどおり「炬燵」の中の足先に触れているのは「猫」だと思ってたけど、「猫」はいま悠々と炬燵を出ていった?! じゃあ、この「炬燵」の中にいる「何か」は何? 下五「いるような」という切れのない終わり方が、いかにも怪しくて可笑しい。
猫と蜜柑足して炬燵で割ればよし
「炬燵」と「猫」はテッパンの類想。「蜜柑」と「炬燵」もテッパンの類想にして季重なり。それを堂々とやってる根性がいい。「~足して~割ればよし」という展開に大拍手! 俳句でやっていけないことは何もない! この作家にとって、類想も季重なりも怖いものはないのだなと思うと、ますます愉快でしょうがないよ(爆笑)

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