俳句ポスト365結果発表

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第212回 2019年1月10日週の兼題

菠薐草

  • よしあきくん一期一会の一句
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天

握力や菠薐草を甘うして
くらげを
「菠薐草」といえばポパイ!がすぐに出てきてしまう。そこを乗り越えて新しい発想にという考え方も勿論ありますが、誰もが思いつく発想とは、言い換えれば盤石の共通理解でもあります。それを味方につけて展開していく考え方もあるのです。この句は、ポパイ的発想から「握力」という言葉を選び取りました。上五「握力や」ともってくるのはかなり大胆。「菠薐草を甘うして」の解釈にも仕掛けがあります。握力をつけるために嫌いな菠薐草を甘く味付けて食べようとしているのか、食べさせようとしているのか。はたまた握力がついてきたことで菠薐草の力が益々信じられるようになり、味を甘く感じているのか。想像の余地を楽しませてくれる作品です。

地

菠薐草どこまでもゆける雲梯
或人
ポパイ的発想から「菠薐草」→力こぶ→「雲梯」と展開。昨日の夕飯で「菠薐草」食べたから! 給食の「菠薐草」おかわりしたから! 今日は「どこまでもゆける」そんな気分の春の校庭です。同時投句「ヘルメットダサいほうれん草嫌い」も愉快。
羅刹日のことに法蓮草甘し
比々き
「羅刹日」とは最悪の日。何をやっても最悪な日、いつもは苦手な「菠薐草」が「甘し」と感じるほどの、最低な気分なのか。「羅刹日(らせつび)」という響きが厳しく切なく、「菠薐草(ほうれんそう)」という響きが殊のほか甘やかに感じられます。
はうれんさうメランコリーという甘さ
蟻馬次朗
「菠薐草」を歴史的仮名遣いで書くと「はうれんさう」。視覚的に随分感じが変わりますね。この表記と「メランコリー」という片仮名の対比も面白い。「はうれんさう」は苦くて、「メランコリー」は甘いのか。どちらも甘く感じられているのか。憂鬱に菠薐草が似合います。
腹に子のいる重力や菠薐草
青海也緒
「腹に子のいる」状態を「重力」と感じとる肉体感覚がリアル。今食べている「菠薐草」は腹の子の生きる力となるのだよ、と思いながらしげしげと「菠薐草」を見つめているのかもしれません。「や」は「重力」を強調。力が漲ります。
生命線のまづしきカーブ菠薐草
一阿蘇鷲二
我が手のひらをしみじみと眺めます。「生命線」がありはするが、なんだか貧相な「カーブ」を描いているなと思う。「まづしきカーブ」という詩語がいいなあ。「菠薐草」を食べても「生命線」はこのままなんだろうけど、生きる健気を思わせる一句。
はうれんさう無一文だが無尽蔵
福蔵
「はうれんさう」が畑いっぱいに緑の葉を広げている様子を思い浮かべてしまいました。貧しい暮らしを「無一文」といいつつ、この豊かな「はうれんさう」は春の土から「無尽蔵」に生まれてくる。そんな充足感が感じとれる一句です。
菠薐草およそ冥王星の味
伊予吟会 宵嵐
「菠薐草」が甘いと感じるのは、苦手意識のない人たち。やっぱり嫌い!という人たちも当然います。「およそ冥王星の味」という比喩=詩的断定が愉快です。食べたことはないけど、太陽系から外されてしまった灰色の星=「冥王星」は、きっと殺伐とした灰色の味なんだろうな。
ほうれん草キリスト生誕の匂ひ
利平
「ほうれん草」が苦手という人は、独特の匂いを理由にあげます。それにしても「ほうれん草」の比喩として「キリスト生誕の匂ひ」だという発想に吃驚。崇高な、人類の役に立ちそうな、その始まりの「生誕」の生々しく苦く青いみたいな……、いろんなイメージがこの「匂ひ」に凝縮されているって感じなんだろうな。
菠薐草信者の母に逆らえぬ
雪うさぎ
なんでもいいから「菠薐草」を食べていれば強く元気になれる、と信じ込んでいる「母」。毎日の食卓に「菠薐草」がでないことがない。そんな「菠薐草信者」なんでしょうね。「逆らえぬ」の下五に作者の溜息が見える一句です。同時投句にも共感!「まだ歌えるポパイのテーマはうれん草」
傷付くな私は強い菠薐草
中山月波
「傷付くな」と言われても、人は傷付くのです。でも自分を鼓舞しなければ、今日を生き抜けない。「傷付くな」と私に呼びかける私。「私は強い」と自分に言い聞かせる私。「菠薐草」をモリモリ食べて、心をポパイにする。この句を、今日の私の応援歌にしたい。そう思った一句です。

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