俳句ポスト365結果発表

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第224回 2019年7月11日週の兼題

秋薔薇

  • よしあきくん一期一会の一句
  • 初心者向け解説コーナー今週の俳句道場
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  • 人・並選の俳句
  • 天・地の俳句

天

ルビといふきれいな響き秋の薔薇
久我恒子
「ルビ」とは、漢字等に付ける振り仮名です。なぜ振り仮名をルビと呼ぶのか。ものの本によると、英国でルビーと呼ばれた欧文活字の大きさが、和文で振り仮名として使われていた活字とほぼ同じ大きさだったことから、こう呼ばれるようになったそうです。
一句一読、確かにそうだと気付かされます。私たちの心は「ルビ」という音を「きれいな響き」だ感受しているのではないかと思うのですが、このように言葉にされるとハッとします。英書を読んでいるのか、詩集に心動かされているか。傍らの「秋の薔薇」は「ルビ」という名の美しい活字のように小さく咲いています。つかず離れず響き合う言葉たちが放つ、詩という名の静かな火花のなんと「きれいな」ことか。

地

秋ばらの剥き出す雌しべの水分量
野の花さな
「秋ばら」の一物仕立て。「秋ばら」の「雌しべ」が剥き出しになっていることに気付いただけでもたいした観察眼だと思いますが、その「雌しべ」の少し萎えて乾いている感じを「水分量」とのみ表現。まるで理科の観察記録のような言葉を使いつつ、ちゃんと「秋ばら」を描写しているのに舌を巻きます。小学生俳人さなちゃんは、私にとってライバルの一人です。
秋薔薇のまばらを満てる水の息
とおと
こちらは潤いのある「秋薔薇」です。花々は「まばら」に咲いているのだけれど、その空間を満たすように「水の息」を感知するたおやかな感性。秋薔薇の水の息と作者の息が静かに呼応していくかのような詩的空間。「秋薔薇」のみずみずしさを「水の息」と表現した詩語も素敵ですが、中七「まばらを満てる」という詩的描写があるからこそ生きる下五「水の息」です。
秋の薔薇アーメンだけを小さく言う
シュリ
「秋の薔薇」の咲く教会の葬儀に列席したのだろうかと想像しました。自分はクリスチャンではないのだけれど、大切な人の葬儀なのです。牧師さんのお話、パイプオルガンの響き、聖歌隊の賛美歌。祈りの言葉も知らないし賛美歌も歌えないけど、最後の「アーメンだけを小さく言う」、この中七下五のつぶやきに静かな戸惑いと悲しみと祈りがこもります。
秋薔薇を咲かせて静かなる退所
大塚迷路
「秋薔薇を咲かせて」まではどうということのない措辞ですが、後半「静かなる退所」で光景や場面がみえてくるのです。特に「退所」の一語がもっている働きは大きいですね。介護施設のような所を退所するのでしょうか。元気な時はこの「秋薔薇」の世話を率先してやっていたお年寄りかもしれません。科学研究所の所長かもしれない、演劇を学ぶ研究生かもしれないと、思いが広がるにつれ違った人物が次々に立ち現れてきます。「静かなる」は人物でありつつ、「秋薔薇」の佇まいも想像させます。
猫の耳つまみひんやり秋の薔薇
一阿蘇鷲二
猫と身近に接することがないので、ひとまず調べてみました。「猫の耳」は通常は冷たい。温度調節をする機能を持っているので、熱を体外に放出する時のみ耳が熱くなるのだそうです。
「猫の耳」をつまんでみる。いつものように「ひんやり」としている。猫の耳は薄い。ぼんやりとひかりを通す、もも色もきれい。そして「秋の薔薇」もきれい。一句に全体に秋の愁いめいた気分も漂う大人の作品です。
秋薔薇や寂しい夜に嗅ぐ石鹸
衷子
「秋薔薇」の香りを描いた作品は沢山ありましたが、「石鹸」という別の匂いを取り合わせてくる発想にささやかな意外性があります。洗面台やお風呂の石鹸か、タオルや下着などの引き出しに潜ませる香り石鹸かもしれません。いずれにしても「寂しい夜に嗅ぐ」というのが一句の眼目。「秋薔薇」と「石鹸」、寂しい心をもてあます夜の香りです。
セロのごと香るや秋の黒薔薇は
樫の木
宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』を読んだことがありますか。「ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした」の一文から始まる小品です。チェロではなく「セロ」というと、すぐにこの作品を思い浮かべてしまいます。
「セロのごと香るや」という比喩と強調が「秋の黒薔薇」のことだとわかった瞬間の香しい感嘆。ときに優美にときに切なくときに荒々しく響くセロの音は、秋の薔薇の中でも黒という色に象徴されるに違いないと思わされました。「香る」の一語がこの位置にある巧さも誉めたい一句です。
人形の影のほつれて秋そうび
ゆうが
薔薇と人形という素材の取り合わせはあるかと思います。が、「人形の影のほつれて」という描き方が繊細です。実際に「人形」の布の部分がほつれているのかもしれませんし、もう遊び相手ではなくなった「人形」に対して「影のほつれて」と心理的描写をしたのかもしれません。「人形↓影↓ほつれ」とクローズアップした映像から、「秋そうび」へと焦点が移る。このカメラワークが巧い作品。小学生俳人ゆうが君も、私にとっては頼もしいライバルです。
秋薔薇や羅馬の市場のチーズ売り
28あずきち
「秋薔薇や」と強調した瞬間、「羅馬」の光景にカットが切り替わります。「羅馬」はローマの和名。訪れた「市場」には美味しそうな「チーズ」を売っている店があったのでしょうね。中七が八音になってはいますが、「羅馬の市場の」と「の」の音がリズムを作っているので、そんなに気になりません。下五「チーズ売り」で人物、売り声、会話、市場の喧騒などが立ち上がりつつ、「秋薔薇」「羅馬」「チーズ」の三つの単語がほどよい距離を保ちつつ、豊かな歴史を持つ国の今の表情が描かれています。
ちやんと痛いか秋薔薇を抱いてみよ
霞山旅
感情も痛点もなくしているかのような深い失意でしょうか。第三者に「抱いてみよ」と呼びかけているのかもしれませんが、ガラス玉のような己の眼を鏡の中に見ているのではないかと読みました。どうしたんだ、私。いつまでこんな眼をしているつもりか。「ちゃんと痛いか」、人としての心と体はあるのか。「秋薔薇を抱いてみよ」その棘の痛さを感じ、その香りに慰められてみろ、と自分に鞭打ち、自分を励ます。
詩人なら秋薔薇の棘刺して死ね
こま
人として生きる喜びや悲しみを歌い上げるのが「詩人」ではありませんか。「詩人」であるのならば「秋薔薇の棘」を我が胸に「刺して」死ぬぐらいの気概をもって、歌い続けなさいよ。
さきほどの「ちゃんと痛いか」の続編のような作品でもあります。「詩人」のところを俳人にしてもよいのですが、「秋薔薇」には「詩人」のほうが似合うかもね(笑)。

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