俳句ポスト365結果発表

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第226回 2019年8月22日週の兼題

重陽

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今週のお便り&俳句道場

■今週の俳句道場~初級者向け解説コーナー
さあ、今週も皆さんからいただいた投句をもとに、俳句のイロハを解説していきます。毎週読んでいるうちに俳句の作り方がわかってくる講座でございますよ。

◆俳句の表記~五七五の間は空けない
菊の酒 ゆっくり?みたい 今宵かな 小林番茶
菊の酒 孫が言祝ぐ 皺深し 天馬
重陽や いまだ燃ゆアマゾンの森 杜野倫子
清流の 菊の宴に 祈る 郷 鈴木智恵子
重陽の もや夜に浮かぶ 大洲城 ここりん
重陽を 祝う喜寿の 父の背や  ナゾラブ
重陽を 重ねてすでに 八十路過ぐ 慧@重陽(9/9)は私の誕生日です。
○慧さん、お誕生日おめでとう♪ とはいえ、俳句は五七五の間を空けず一行に縦書きするのが正しい表記です。ネット俳壇の横書きは、泣く泣く許容しております。強い芸術的主張がある場合、敢えて分かち書きしたり、多行書きしたりもしますが、初心の時期は基本を守っていきましょう。
 この関門をクリアしないと、木曜日「並選」以上には進めません。俳句の修行の第一歩は、正しい表記から~♪次のご投句待ってますよ。

◆季重なりブラザーズ
栗ご飯重陽の日は誇らしげ 陶豪
重陽もはや遠くなり栗実る 越仙
重陽を知らぬ同僚呑む麦酒 卑弥呼
重陽で風さわやかに食進む 美泉
重陽や九月病てふ溜息を ちょくる
重陽や城内華やか菊花展 よひら
重陽のあの菊人形百周年 夢芝居よしみ
重陽や菊供養の香拡がりぬ いと茶
菊枕母は知りしか重陽を ノルウェーの森人
○季語が複数入っている名句もあるので、「季重なり」は絶対にダメ!とは言いませんが、複数の季語を作品として成立させるのは、上級者コースのウルトラ技。まずは、一句一季語からコツコツ練習です。

◆兼題の考え方
行き先を 告げるが如く トンボかな 海堂
空蝉の木陰にありし松林 野うさぎ(ペンネーム)
躊躇うや友の笑いと茸鍋 笑々
アシストに抜かれてむきに秋暑し みゆき
足湯にて 車椅子の吾子 はしゃぐ夏 藤岡
絵日記の花火の隅に花丸を てっきりか
烏相撲刀祢に負けじと宮からす さくらがい
○本サイトでは毎週「兼題」と呼ばれるお題を出していますが、季語が出題された場合はその季語(あるいは、その季語の傍題)を必ず詠み込む、というのがたった一つのルールです。
今募集中の兼題は、10月16日24時締切の「初冬」です。ご投句お待ちしてます♪

◆類句というハードル
全力で立つ空き瓶に秋の薔薇 福蔵
全力で立つ空びんに薔薇の花 五島高資

重陽の長咲く家の滅ぶかとも    きゅうもん@木の芽
夕蝉の長鳴く家の滅ぶかとも     大野林火
○これだけの数の選句をしていると、類句というのが毎回毎回出てきます。記憶の奥にうっすら残っていたものが自分の句のような顔をして出現してくることもありますし、完全なる偶然で生まれてくることもあります。
 たった十七音の短詩系文学ですから、類想類句は宿命というもの。逆に考えれば、たった十七音しかないから「ほんの五音分」のオリジナリティ、リアリティを追求するのが、俳句の新しさへの挑戦なのです。

●作句で気になる事は、他の人が詠んだ句のさび…をそのまま頂いて、詠むことについてです。他の人の句で発想が広がる事はありますが…まんまだといかがなものかと??それと、1句先生に誉められると、同じバージョンで次々詠んだりりして、投句する事です。なんだか、類句のように感じて、私としては、興醒めして選句できないのですが、しっかり決まっている句なので、初めて見た方は、選句する傾向です。俳句の勉強ってこれも有り??なのでしょうか?/川越 のしょび
○最初は、型を真似するところから俳句の学びは始まりますが、そこから後は、いかに「志を高く持つ」かによって、学びの道は分かれていきます。
 他人を見ていて、自分としては「納得できない」と思うことは、なさらないほうがよいでしょう。そこに自ずと志の高低が生まれてきます。お互いに「志高く」進んでまいりましょう。

◆季語深耕
菊花展周年栽培ここにあり 玉京
菊の香を肴に飲みし70歳 一周
菊の香の祖父母の庭と記憶せり まつぼっくり3号
献菊や香に父母の御座す様 はしびろこう
●重陽を調べてみると菊の露を染み込ませた綿で体を拭う行事があるようなのですが(今はほとんど行われていないようです)、「菊の香」は重陽の傍題になりますか? 重陽という題が難しく、少し前に菊の香を使って投句してしまいました…。どこからが傍題でどこからが傍題じゃないのか、その線引きが難しいです…。/ぺち
○「菊花展」は行事ですね、「菊の香」「献菊」は、「菊」という植物の季語だと考えればよいのではないかと。いずれも「重陽」の傍題とは言い難い。
 本サイトの底本としているのが『カラー図説新日本歳時記』(講談社)です。(各歳時記は、編者の考えによって採録する季語の数や分類も多少違いますので、ひとまず基準としておく歳時記を決めているのです。)この大判の歳時記の「重陽」の傍題としては「重九・菊の節供・今日の菊・菊の日・重陽の宴・菊の酒・刈上の節供・三九日・みくにち茄子」が載っています。

登高や陽は傾いて雲映える 北村 鯨子
パソコンの年金試算菊の酒 靫草子
●「高きに登る」や「茱萸袋」のような関連季語を使用するのは不適当なのでしょうか。/北村 崇雄
●私の歳時記には傍題に「菊酒」とありますが、ささやかなポリシーとして、兼題そのもので詠みたかった。そう思いながらも、「重陽や年金試算コップ酒」などとすると、詠みたかった思いから少しズレてしまうような気がします。う~むと思いながらの投稿です^^;/靫草子
●「高きに登る」「菊酒」「温め酒」…歳時記によっては個別に紹介されているこれらの季語を、「重陽」の傍題と捉えてよいものか、悩ましいところです。 ひとまず今回は「重陽」をメインに、これらの季語を独自に傍題と見なして、作句・投句させて頂きました。お手を煩わせて申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。/多々良海月
●私のもつ角川歳時記(第五版)には重陽の傍題として菊酒が載っていますが、重陽という行事の中に菊酒という物や登高、菊の着綿という行動が包含されていることを考えると、本来重陽と菊酒は別の季語と考えるべきなんだろうと思います。が、せっかく菊酒の句ができたので投句。 行事の空間のある一物を取り出すのか、空気感や気分が響き合えばよしとするのか。行事の季語をどう使うべきかがどうにも捉えがたく、火曜日の季語深考を楽しみにしています。/碧西里
●この手の行事の季語は、どこまでを傍題としてよいものか、様々な意見を耳にします。個人的には、「重九」「菊の日」「菊の節句」といった、“その日”を指すものは傍題として良いと思いますが、「登高」「温め酒」「菊酒」「菊の着綿」といった、“行うこと”を指すこまごまとしたものは、それぞれ別々の季語と考えるべきではないかと思います。「端午」と「鯉幟」、「盆」と「墓参」、「大晦日」と「除夜の鐘」がそれぞれ別々の季語なのと同様です。もちろん、歳時記によって裁量が異なるものではありますが、ひとまず、お題が「重陽」であれば、「重陽」を詠みこむことを第一としたいところです。/いかちゃん
○いかちゃん、まとめてくれてありがとう♪

●・「芸文類聚」(中国の唐時代初の百科事典)によると、魏の文帝が「九は陽数たり。しかも日月並びに応ず。俗其の名を嘉す」として重陽と名づけたとのことです。
・中国の故事に「菊慈童」があります。菊慈童は釈尊より法花の秘文を得て、齢八百歳を保ち、容貌は少年のごとくであったといいます。魏の文帝はこの術を受けて、菊花の盃を伝え万年の壽を祝ったと言われ、これが重陽の宴の始まりとされています。「菊慈童」は能楽、謡曲、長唄の主題にもあります。
・日本の史料で初めて重陽が登場したのは天武14年の「史記」ですが、ここでは菊花のことには触れていません。平安時代に朝廷の儀式として成立し、盃に菊花を浮かべた酒を飲み、群臣に詩をつくらせるなどの菊花の宴が行われました。
・重陽の儀式は鎌倉時代以降廃れました。江戸時代に幕府が公式に五節句(七草、桃、菖蒲、七夕、重陽)を定め、特に重陽を最も重要な節句としました。諸大名は登城し菊の枝を添えた品を献上し、菊の花びらを浮かべた酒を飲みました。庶民にも広まり、手習いなどの師匠の処へ出向いてお祝いを述べる習慣だったそうです。明治以降重陽の節句は急速に廃れたそうです。/つぎがい
○すでに鎌倉時代から廃れていたのか。つぎがい君、ありがとう。さらに、すりいぴい君からの詳しい情報です。

●重陽(ちょうよう、ちやうやう、行事、晩秋、傍題:重九(ちょうきゅう)、菊の節供、今日の菊、菊の日、重陽の宴、菊の酒、刈上の節供、三九日(さんくにち、みくにち)みくにち茄子)
★ 陰暦九月九日の節供で、九は陽数で、その九を重ねるから重陽と言い、重九とも言った。菊をこの日の景物として、菊の節供とも言い、今日の菊と言えば、この日の菊である。正月七日・三月三日、五月五日、七月七日とともに、五節供と言われる。もと中国で行われたことで、宮廷では重陽の宴が行われ、群臣に菊の酒を賜わるなどのこともあり~略~。「民間では別の意味を持っていた。陰暦九月は、農民にとっては収獲の月であり、三度の九日を、秋田地方では刈上の節供と言っている。~略~ 東北では三九日(さんくにち)と言い、中部では三九日(みくにち)と言う」。「他の五節供ほど重陽の節は民間行事として滲透しなかった影響が句にも見え、どこかよそよそしさが離れなかった」などとあります(「カラー図説日本大歳時記 秋」講談社、1981年、山本健吉)。この歳時記には鳥居清長筆の「子宝五節遊・重陽の節句」の部分図が掲載されています。女性や童が菊の花を取り合ったり、花びらで遊んだりしている図です。
★ 上記講談社歳時記は、「菊」が付く関係する別の季語としていくつを掲載。a「菊の着綿」(行事) b「菊枕」(生活。枕に菊の花を詰めたもの。重陽に花を摘むのがよいとされる)、 c「菊襲」(きくがさね。生活。九月の衣類の襲衣目の名。九月九日の節句(ママ)重陽から着用した。地下の者達の小袖を九日小袖という)を挙げる。 d「菊の酒」は「重陽」傍題だが単独項目もある(生活)。「重陽の節句(ママ)に用いる酒。また菊の花びらを酒杯に浮かべ飲む酒。「平安時代より朝廷では陰暦九月九日の日、菊酒をもって祝う宴会が行われ、中世以降も続き、室町将軍あたりもこれにならった。また近世民間においても親類縁者に栗の実を贈ったり家庭で菊酒を飲んだりしたので、この節日を栗の節句とか菊の節句とか呼んだ」(脇村禎徳)。 e「菊供養」(行事)は陰暦九月九日に、東京の浅草寺で行う菊花の供養をいう。菊の枝を持参して供え、すでに供えられている菊をもらってくる。疾病・災難から逃れることができるという。★ また、九月は「長月」で、傍題に「菊月」がある。「菊日和」は以前に俳句ポスト兼題にもなりましたね。その時は「秋日和」との異同が問題になりました。このとき組長は、そもそもこれらはどのジャンルの分類の季語でしょう、という趣旨のことを書かれていました。頭に置いておきたいことは、「菊」と深いかかわりがある「重陽」は「行事」であること、そして景を含め五感を持っていないように思われること。しかし嗅覚は感じられます。「菊の酒」は別季語ですが、傍題にも書かれていて、個々の句により可否が判断されると思いました。別途関連季語を書いておきます。★/すりいぴい
●別の季語として、講談社歳時記はa)「おくんち」(あるいは、おくにち、くんち。御九日)掲載している。まとめると、行事、陰暦九月九日のこと。九州一帯の氏神祭をいう。最近では陽暦の九月九日をおくにちとするところが多くなり、全国的に秋祭りが行われる。特に長崎が有名で、今は月遅れの十月七・八・九日に行っていると。九月九日のみならず、十九日・二十九日をみくにち(三九日)として民間では大切な日とする。赤飯や小豆飯や米粉だんご、三九日粥などを食べる風習が残る(脇村禎徳)。これはまさに「祭」としての趣・景が強めなような。
★ b)「高きに登る」も同様に単独の別季語としている(行事、仲秋、傍題:登高・茱萸の袋・茱萸の酒)。これも中国古俗に由来する行事。陰暦九月九日に行う。茱萸(ぐみ)を入れた袋を持って高い丘などに登り、後にその実を酒にうかべて飲み、災害を払い、不老長寿を願う行事。日本において今は行われていないが、秋晴の日、近くの野山に一家団欒のハイキンググループで登高が行われたりすると思われる(田中鬼骨)。 「いちばんわかりやすい俳句歳時記 秋冬新年」(主婦の友社、2017年、辻桃子=安部元気)では「中国の古俗による宮廷行事で、菊供養をしたり菊酒を飲んだりする」とある。傍題に上記講談社の他「菊供養」「小重陽」(こちょうよう。九月十日)を挙げる。「高きに登る」では、赤い袋にはじかみを入れ、菊酒に浸し「茱萸の酒」といって飲んだとある。
★ 「新俳句歳時記 秋の部」増補改訂(光文社、1964年、山本健吉)では「おくにち」「後の雛」「高きに登る」「菊供養」は「重陽」とは別の単独季語。「菊の酒」は「重陽」の例句にありました。上記以外の歳時記の傍題記述が火曜日に紹介されていれば比べてみたいです。/すりいぴい

◆季語雑学部
●季語雑学部  花札で9月を表す札は菊で、その中の高得点が「菊に盃」です。これは重陽の節句に飲まれる菊酒を指しているといわれています。元々は白菊のデザインだったようですが、江戸時代に黄赤の色彩に変わったとのこと。ちなみに、芭蕉が重陽の日に「盃や山路の菊と是を干す」と詠んでいます。/山香ばし
○なるほど、花札のデザインはまさに重陽ですね。以下、さまざまな雑学情報です。

白山に立てる媛神菊酒の香 谷口詠美
●菊理媛を祀る石川県白山ひめ神社、拝殿や遥拝所よりもさらに高度 をあげた白山山頂に御本尊。登山者は山小屋に一泊登るほどだとか。 このあたりで作られる菊姫という日本酒は黄色く濁っていて、甘い香りが 供えられた境内に香ります。/谷口詠美
●菊花は漢方にも使われ、西洋のホメオパシーなどでも血流を良くしたり、傷を癒す自然薬として用いられています。英国認定ホメオパスの資格をとるときに、日本の古典に残っている記事と一致するのに一々 驚きました。重陽節に菊花酒により長寿を祈念するというのは、植物の効用を中国で日本でも知っていたからなんだなあと感慨深い思いになります。 /谷口詠美
○菊の花には、そんな力があったとは!

◆俳句文法研究部
●「重陽」は歴史的仮名遣いでの表記は「ちょうやう」になります。でも「蝶」は「てふ」で「ちょう」と読みますよね。他にも「ちゃう」や「てう」でも「ちょう」と読む漢字があります。 以下書き出してみます。( )内のローマ字は今の北京語での発音ピンイン表記(四声は省略)
1.「ちゃう」で「ちょう」と読む 丁(ding)、頂(ding)、庁(ting)、町(ting)、聴(ting)、挺(ting)、停(ting)、長(zhang)、帳(zhang)、脹(zhang)、腸(chang)、打(da)、提(di) 漢和辞典を見てみると、これらに共通するのは、「ちゃう」で「ちょう」という読み方がおおむね呉音(一部漢音)だということです。
2.「てう」で「ちょう」と読む 兆(zhao)、鳥(niao)、眺(tiao)、調(tiao)、超(chao)、朝(zhao)、跳(tiao)、銚(diao)、嘲(chao、zhao) 中国語の発音に共通項がみられます。「てう」で「ちょう」は主に漢音(一部呉音)でした。
3.「てふ」で「ちょう」と読む 帖(tie)、牒(die)、蝶(die) これらも、中国の発音が非常に似通っていて、仲間であると考えられます。この三つはすべて漢音でした。 以上から、昔の中国での微妙な発音の違いが同じ「ちょう」という読みでも書き分けられていることにつながっているのではないかと推測します。 /ひでやん
○音の問題はほんとに面倒くさいですね。いちいち辞書を引くしかないと思ってます。

◆こんなお便り、質問届いてます!
●重陽というのは祝いの宴みたいなものか?/ナゾラブ
●実際に重陽を祝っているところは、今でも、あるのでしょうか?/コタロー
●重陽はある。重陰はないのね。/こま
●重陽と言っても具体的には何もしないので、イメージが掴めず。冷やおろしの解禁と秋の入り口と言う感じです。/浅河祥子
●重陽という文化を初めて知りました。 /天馬
●重陽、菊の節句としっていても、馴染みがなさすぎて難しかったです。それにしてもどうしてこんなに廃れてしまったのでしょうか。/日午
●重陽という季語、馴染みがないだけに難しかったです。/泗水
●重陽と言っても何のことかわからぬ日本人が増えました。/忍冬
●五節句の中でも一際陰の薄い重陽の節句。端午、七夕は今でも通じるし祝われる。人日、上巳は知らずとも七草粥、お雛様として残っている。重陽はいつからカレンダーに載らなくなったんでしょうか。/卑弥呼
●毎回、季語が難しい、(日常と縁遠い)/富樫 幹
●重陽の節句は明治以降は廃れてきたためでしょうか、ほかの節句と違い、華やいだ雰囲気や楽しい気分というよりも、懐かしい、ゆかしい気分を感じさせるように思います。 現在の俳句の世界でのこの季語の立ち位置というか取り扱いはどのようになっているのか興味があります。/木森
●今回の兼題、いつにも増して「難しい!」というお便りがたくさん届いているのではないでしょうか。とはいえ、私にとっては非常に詠みやすい題でした。考えれば考えるほど、いくらでも句が降ってきましたので、きっと金曜日間違いないでしょう!・・・・などと無意味な嘘を言いたくなるような難しさでした。/多喰身・デラックス
●「重陽」は行事なので映像のある季語、ただ、重陽を実際に見たことがない。今年は意識して重陽を過ごしてみます。/川口みち
○知らない季語と出会うとは、「今年は意識して~過ごしてみる」ということだよなといつも思います。皆さん、どんな9月9日を過ごしましたか。

●節句とは言え、特に身近な習慣があるわけではないので目の付け所が難しいです。他の季語と入れ替え可能な句になってしまいます。/しずく
●恥ずかしながら今回の季語は、まず、読めませんでした。「じゅうよう」ではなく「ちょうよう」なんですね。「菊の着綿」という風雅な風習のことも、高いところにのぼり、長寿を願って菊の酒を飲んだり、茱萸の実を入れた袋を身につけたり、この秋という季節を楽しみながら長寿を祈った昔日の人たちの、生活の豊かさをうらやましく感じた季語でした。/かつら子
●改めて季語の「重陽」を調べました。「菊に長寿の願いと秋の収穫を祝う、重陽の節句」日本の美しさが凝縮された季語のように思い感動しました。 ただし、作句になると、触れるもの、香るもの、目に見えるもの・・何もない。写生できない俳句作りは大変です。 /風間昭彦
●重陽を祝ったことないのでイメージですけれど、長寿を願うならお年寄りの方が登場するのかなと。そしてなんとなくですがおばあちゃんよりおじいちゃんの方が似合いそうな感じがします。まるで根拠がなくてすみません!/古都 鈴
●あまり聞かれなくなった節句なのですが、昔は重要なものだったようですね。こういうとき、季語に対する尊敬の念をくずさないように、というようなことを以前夏井先生がテレビでおっしゃっていたのを、思い出しました。/榊裕江子
●「重陽の節句」が馴染みのないものだったので、長寿・健康を願う気持ちを込めて詠みました。/若葉猫
●調べてみましたが重陽はめでたい日なのか、そうでないのか結局よくわからなかったです。字や響きはなんだか重たい雰囲気ですね。/常光龍BCAD
●とても馴染みが薄い季語だと思いました。桃の節句や端午の節句、七夕と違って圧倒的に季節のセレモニー的馴染みが無い。私の地元では菊の花を良く食べます。おひたしにしたり、酢の物にしたり、味噌汁に散らしたり…。独特の風味と苦味があってとても美味しいですが、地元の人間でも苦手な人が一定数います。パクチーに似ているところがあるからかもしれません。俳句を作るにあたって色々調べ、菊酒というものを知りました。あの風味がお酒に移るのかしら、どんな味なんだろうと飲兵衛の血が騒ぎました。是非作ってみたいです。/山口たかえ
●9月9日が昔は重陽の節句という雅な一日だったと知りました。今は残暑厳しい「救急の日」の側面が強い日になりました。/うに子
●何この季語…陽が重なるって、活発ってこと?仕方ないから、九月九日生まれの有名人探しちゃったよ。 /口岩健一
●重陽は、日本人の嫌う九という数字を目出度い数字とみなして祝うのが昔から不思議で仕方がないのです。クリスマスを祝う日本人より不思議です。ただ、九という数字は1?9何を足しても一の位と十の位を足すと、その足した数字になるのに宇宙を感じます。/紫花
●重陽の節句と言われても生まれてこの方祝った事がありませんので分かりません。 日本では9は「苦」なので苦が重なる事に何故喜べるのか意味が解らないです。/木乃伊
●九月九日が重陽の節句ということは昔学校で習いました。せっかく覚えたのに今は菊人形展に行けないのが残念です。北陸では福井県の武生市の菊人形展が有名です。/寝たきりオヤジ
●夏井先生 正人さま スタッフの皆様いつも有難うございます  今回の兼題(重陽)初めて知りました  中国では奇数は縁起の良い数  9月9日数学の中でも一番大きな陽数が重なる幸多い日だとか!菊酒 菊枕!!良いですね  /水夢
●どうやら重陽や菊の節句とは無縁の環境に育ったみたいです。どんなに記憶を掘り起こしても、この日に長寿を願ったり、菊を浮かべたお酒を飲んだりしたことがありません。念のため、家にあったカレンダーを見てみたのですが、9月9日には「朝刊休み」とのみ書かれてありました。二百十日とか彼岸とかはしっかり書かれているのに、重陽ってメジャーじゃないんですかね?スーパーのチラシにも、菊がらみのことは載ってませんし。/次郎の飼い主
●「重陽」=陽の数である「九」が重なるところから、奇数で重なるものは?という具合に、発想を広げてみました。また、重なることがめでたいということで「宴」の雰囲気も出せたらと思いました。それにしても「重陽」って、頭では知っていた気になっていましたが、今の時代身近に感じることってない気がします。でも、俳人なら…。もしかしたら組長なら盃に菊の花びらを散らして…ってなことしているのかも?と思いましたがいかがでしょうか。/高橋寅次
●「9月9日は菊の節句」というのは国語の授業で習った記憶がありますが、桃の節句や端午の節句と異なり、菊の節句をお祝いしたことがありません。同じ節句なのに縁遠くなるものとそうでないものがあるのは面白いなぁと感じます。西洋のお祭りにも、クリスマスやハロウィンのように日本に根付いたものもあれば、イースターやサンクスギビングのようにまだ馴染みの薄いものもありますね。/天水郷
●『くんち』は『9日』から来ているという説があるようです。/汐
○確かに、あり得そうだね。傍題に「みくにち茄子」というのがあるらしいが、これもなんか由来がありそうな傍題やな。

●菊に仏花のイメージが強い。/こま
●重陽は季語との取り合わせの距離感を掴むのが難しかったです。 /けーい○
●重陽の節句は、地味だけど慈味ある節句だと思います。/でらっくま
●兼題の意味を初めて知り、この節句が忘れ去られている状況、重陽がしっかりと存在感のあった時代と今とのギャップ、それでいて底辺に流れる普遍的な日常などをいろいろ考えて投稿させて頂きます。/楽花生
●節供はどうしても原義が強くて、自分の言葉におとし辛いです。それならいっそということで、中国の伝説などをひいてしまいました。/とのじ
●重陽の季語を使った場合、菊花や茱萸などを入れると季重なりとなるのでしょうか。/パーネ・メローネ
●兼題「重陽」について調べてみて、菊の花への印象が変わりました。菊の花からは、どうしても葬儀を連想していましたが、古くからおめでたいことに用いられる花なんですね。菊さん、失礼しました。/めりっさ
●「重陽」には具体的な映像が無く、「菊の日」とすれば菊が大きく前面に出てくる、非常に難しい兼題でした。なんとかして発想を膨らまそうと思いましたが、たとえ発想を得たとしても、季語を使って一句にする難しさを改めて痛感しました。/る・こんと
●菊の酒って言い方がもう好き/漁港
●重陽は縁起の良い日だそうですね。私にとって縁起がいいことを色々考えてみました。/夏湖
●うちにある講談社大歳時記の「重陽」のページを開いて、説明にあった写真の怖さに、慌ててページを閉じました。/灰色狼
●毎度 考察難しいです。でも こういう言葉 風習が あるという事を知ることは 17音に 含まれる 俳句の世界は 素晴らしいです。 外国ドラマの中のセリフにも 俳句という言葉が 言ってたのには 驚き 感激しました。/句詩呼
●重陽は今まで以上に例句を探して閲覧しました。イメージが偏り過ぎて、自分らしさが出せたか心配です。どんな句が金曜日に来るのか、大変楽しみです。/古瀬まさあき
●“重陽や”“菊の日や”上五に“季語+や”とゆーパターンばかり浮かんでしまいました。ギリギリになんとか下五に季語のパターンを捻り出せましたが、ああ難しい難しい。/古都 鈴
●重陽、菊酒・登高・茱萸袋などの集合季語という感じで、他の関連季語ではなく「重陽」である必然性がとても難しいです。/古田秀
○「重陽」という季語が動かない句って、一体どんな句だろう?木曜日以降の選句、こりゃ大変そうぢゃ。

●柳家喬太郎師匠の落語「重陽」か、掛け軸なんかで見る五節句図か、くらいしか重陽という言葉と出会ったことがなく、歳時記の例句がどれもぴんとこなくて…結局「長生き」と「重ねる」をテーマになんとか2句ひねりました。重陽やの句は母方の祖母と従甥、菊の酒の句は下戸だった父方の祖父がモデルです。/(聴松改め)離松
●私は9月19日生まれなのですが、節供だからいい日だと、祖母によく言われてきました。19日でも、かろうじて節供と言えるのでしょうか。ともかく、そのおかげで重陽の節供には子供のころからなじみがあり、今回兼題となったので何だか嬉しい気もちです。/海野しりとり
●夏井先生のご指導のとおり、句作は身近なこと、実際の経験から導いたもののリアリテイの大切さに今回考えをめぐらしてみました。「重陽」とは伝統的な節句の季語で字面すら既に色々な文化思想が入っていて重く感じられました。ところが偶然自分の結婚の日が35年前の9月9日の9時だったことに気が付きました。9時というのは当時住んでいたベルリンの地区の役所で半年以上も前に予約をしていたアポイントが9時で、これは覚えやすいように、とのことです。それだけ時間をかけて婚姻の正当性を審査され、異議のある者は申し立てもでき、婚姻には立会人までいるという、婚姻届けにハンコ捺しておしまい、とは違う入籍のあり方でした。現在では簡素化して、立会人は必要ないようですが、それでも書類作成は頑張らなければならない制度で、離婚も同じようにそう簡単に成立しないようです。やはり何事においても契約社会ですかね。役所といえどもそれなりの厳かな部屋があり、担当の役人もかしこまり人生の訓を諭しセレモニーを挙げてくれます。自分で行ったささやかなパーテイ―なども滞りなく済んで、その後随分経って気がついたのは、ウエデイングケーキを忘れた事。 夫はじゃあ結婚記念日に買えばいいだろう、みたいなことを言いますが、そうすると私はケチになって、特に美味しくもないようなケーキを頼むこともない、となってしまいます。悔いは残っているので、「次に結婚する時に注文する」といってあります。 /ぐれむりん
●この季語を見て、真っ先に思い出したのが、2016年9月の大野卓朗くんの「さやけしや高きに登る子らの聲」。彼が知らずに使った「高きに登る」が、ちょうど重陽の頃の季語だったんですよね。また「雨月物語」の「菊花の契り」、それをラフカディオ・ハーンが訳した「約束」も忘れられない作品ですね。/アガニョーク
○「高きに登る」が季語だなんて、普通は知りませんものね。でも、それを知ると、ちょっと嬉しくなるよね。

●普段馴染みのない季語であるうえに子季語もたくさんあり、なかなか手こずりました。発想を膨らませることでなんとかひねり出しました。/緋路
●WEBで調べたら、「重陽」の子季語に、「今日の菊」がありました。子季語という言葉をはじめて知りました(なにせ超初心者/じゃらんじゃらん
○いつも書いているのですが、「子季語」という呼び方は耳慣れません。普通は「傍題」と呼びます。

●質問ですが、リフレインの句とは同じ言葉だけの繰り返しですか?例えばビールとゴールなどではリフレインにはならないのでしょうか?/蛍子
○一句の中で「ビール」「ゴール」のように音を重ねるのは、韻を踏むといいます。

●日経新聞木曜夕刊の連載「プロムナード」で、俳句と科学についての記事を拝読しました。某局の「575でカガク」そして折に触れ言われていることから、組長は以前から科学と俳句の関係に注目されていると察します。最近、寺田寅彦(1878-1935, 物理学者、俳人、漱石の弟子、というか対等の友人)の著作を読んでいますが、以下のように寅彦は書いています(「寺田寅彦随筆集」一、「科学者と芸術家」大正五年一月 科学と芸術、岩波文庫。要約は私)。★ ざっくりですが・・科学者の研究の目的物は自然現象であってそのなかになんらかの未知の事実を発見し、新見解を見出そうとする。芸術家の使命のなかには、天然の事象に対する見方とその表現の方法においてなんらかの新しいものを求めようとする。「二人のめざすところは同一な真の半面である」(p.87)。芸術家は、科学者に必要なのと同程度、もしくはそれ以上の観察力や分析的な頭脳を持っていなければなるまいと思う。いかなる空想的創作でも、その基底には鋭利な観察によって複雑な事象をその要素に分析する心の作用がなければなるまい。そうでなければ、一木一草を描き、一事一物を記述することは不可能なことである(p. 88)。そして科学者にも想像力と直感が必要である。この直感は芸術家のインスピレーションと類似のものである(p.92)。(科学と芸術)「この二つの世界を離れた第三者の立場から見れば、この二つの階級は存外に近い肉親の間がらであるように思われて来るのである」(p.94)。
★ このセクションに限らず「物理学と感覚」にも似たことが書かれ、また随筆である「自画像」「病室の花」の観察眼と文学人のような繊細な感覚・筆致に驚き、「花物語」では季語の花を取り上げて思い出をつづっています。物理学者の本と身構えず、俳人にこそ読んで欲しい内容でした。「雪」で有名な同じく物理学者、中谷宇吉郎は寅彦の弟子。この宇吉郎が書いた評伝「寺田寅彦」(講談社学術文庫)も面白いです。この本の帯の「ねえ君、不思議だと思いませんか」という言葉が端的に科学と俳句の双方に当てはまる言葉のひとつと思っています。/すりいぴい
○「ねえ君、不思議だと思いませんか」と問いかけたくなること、季語の世界にもたくさんありますね。俳句は、さまざまな好奇心を満たしてくれるアイテムです。

 

●新しい投句・投稿システムについてのお願い
 投句・投稿フォームが新しくなっています。投句数の増加に伴って、仕分け作業に多くの時間を要します。以下の事項を守って投句投稿して下さると、組長の負担が大きく減ります。ご協力よろしくお願いします。

①俳句の欄には俳句のみ記入して下さい。一つの欄に一句を厳守。

②「俳句に対するコメント」の欄は記入する必要はありません。(特に気になることがあれば記入していただいても結構です。)

③「ギャ句」「聞き倣し季語」は俳句欄に記入して下さい。ギャ句の原句は「俳句に対するコメント」の欄に必ず記入して下さい。

④「兼題季語についての質問・考察・情報(火曜日「俳句道場」)」は、火曜日「俳句道場」への投稿です。

⑤「『俳句ポスト365』への感想・質問・要望・俳号の変更・各地の吟行情報など」「組長&ハイポニストたちへのお便り・近況報告など」はそれぞれ水曜日への投稿です。内容に合った欄に書き込んで下さい。

夏井先生

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