俳句ポスト365結果発表

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  3. 麦踏

第235回 2020年1月9日週の兼題

麦踏

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今週のお便り&俳句道場

■今週の俳句道場~初級者向け解説コーナー
さあ、今週も皆さんからいただいた投句をもとに、俳句のイロハを解説していきます。毎週読んでいるうちに俳句の作り方がわかってくる講座でございますよ。

◆俳句の表記~五七五の間は空けない
強くなれ 想いを足に 麦を踏む あおひ
麦踏みて やれるさやれる お前なら ハッピーマム
尻もちを つきながら孫 麦を踏む 浦野 ハッピー
偏見も 楽しく参加 麦踏か 何事もチャレンジャー
麦踏を 終えて焼肉 行くところ 花仮面@ノエル
夜明け前 麦踏む音の 主は母 宏之介
学らんの 従兄弟が来たりて 麦を踏む 紅子@ノエル
遠景に 麦踏む人を 描きけり 鵠洋
足高く 子らと麦踏み 初農体験 佐藤明桜
麦踏みや 落穂拾いの うらめしや 種種番外
麦踏終え 囲炉裏で饂飩 茹でる祖母 秋光
麦踏の 軽いダンスと かん違い 小林番茶
麦踏みが 二十ニ米ライン 超えたり 窓 四角
我もまた 強くなりたや 麦踏めり 冬至三庭馬
吾子たちが 麦踏み楽し サクサクと 能登の里
麦踏や ウズメの如く 踏み鳴らす 波那
タピオカを 食べつつ麦を 踏みにけり 百鶏@ノエル
日暮れきて も少し待てと 麦踏みす 蜩
○俳句は五七五の間を空けず一行に縦書きするのが正しい表記です。ネット俳壇の横書きは、泣く泣く許容しております。強い芸術的主張がある場合、敢えて分かち書きしたり、多行書きしたりもしますが、初心の時期は基本を守っていきましょう。
 この関門をクリアしないと、木曜日「並選」以上には進めません。俳句の修行の第一歩は、正しい表記から~♪次のご投句待ってますよ。

◆季重なりブラザーズ
麦踏みす 猫胸元に 春うらら 痴陶人
麦踏みの 汗噴く嬉し 土楽し 釣之介
麦踏や オフホワイトの 風薫る そよ風そよ
上京し霜柱踏み麦思う 畠山緋彩
シャキシャキと踏む麦の芽や霜柱 青鷹
麦踏みや朝日に光る霜白し さくらんぼ
麦踏みや痛い痛いとかえるの子 ゆき達磨
さえずりに麦踏みの音合いにけり 叶田屋
○季語が複数入っている名句もあるので、「季重なり」は絶対にダメ!とは言いませんが、複数の季語を作品として成立させるのは、上級者コースのウルトラ技。まずは、一句一季語からコツコツ練習です。

◆兼題の考え方
鳴き声の 群がる蒸気 春を待つ ゆうどん
すいすいと 水鳥たちも お正月 一反もめん
初日の出 荒波 歓声 シャッター音 古宮絹代
受験生 ゲームはタンスに 冬眠す 倉木チヨ子
虹日和 心温まる 寒中水泳 末久 理依
母娘 愛と憎しみ 混ざり合う 律
後ろ手の 黒き爪 若麦は見たり 窓 四角
風光る満作恵み麦茶かな チンいよう
春朝カラスとことこ信号は青 とんこ
寒椿紅艶やかに頭落つ なかしまともこ
○本サイトでは毎週「兼題」と呼ばれるお題を出していますが、季語が出題された場合はその季語(あるいは、その季語の傍題)を必ず詠み込む、というのがたった一つのルールです。
今募集中の兼題は、3月4日24時締切の「ボートレース」です。ご投句お待ちしてます♪

◆季語深耕
●実景を見たことない労働系季語…今は機械化され素気ない作業のようです。/うに子
●麦踏は機械で行われるようになっているそうですが、人が踏んでいる景こそ趣があるなと思いながら句を考えています。/でらっくま
●私の周りには、まだ農地が多く残っています。 しかし、「麦踏」を最近見た記憶がありません。 ローラーを使っています。 現代、ほとんど消えた「農事」の「季語」に困りました。/風間昭彦
●農業体験が出来る実習教室てきなもの?以外は今は麦踏ローラーが支流ではないでしょうか。麦踏検索しますと石の重たそうなローラーが勢いよくゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ麦を踏みつけています!豪快なことったらない!効率も良いんでしょうね情緒はなんて言ってられない時代? /藤田ゆきまち
○技術進歩によって生き死にする季語は多いのですが、農業の分野でもそれがいえます。かつての「麦踏」から現在のローラー。これも、新たな季語の現場だと考えるべきでしょう。

●麦踏(初春、生活、傍題:麦を踏む)「霜のために根が浮き上がったり、またいたずらに伸びすぎると株張りが悪くなり収穫も少なくなるので、それをおさえ、株を多く出させるために冬から早春にかけて何回か足で根を踏みかためる。まだ寒いので、もんぺに頬かむりをしたり、懐手をして、麦畑を単調に往きもどりして丹念に麦を踏んでいる姿をよく見かける」(森澄雄)「カラー図説日本大催事記 春」(講談社、1982年)。「俳句歳時記 春第四版増補」(角川文庫、2012年)、「俳句小歳時記」(大泉書店、1996年、水原秋櫻子)もほぼ同様の記述(大泉版では「早春」と分類している)。「踏んでいる人は麦への愛情もさることながら、何を感じながら同じ動作を繰り返しているのだろう。~略~ 麦踏をしている姿に孤独を感じる人もあろうし、見る人によってさまざまな感興があろう」とも書かれている。★ 「麦踏」そのものの意義や現状についてはみなさんに譲りますが、麦踏は好きな季語です。踏んだ経験がないにも関わらず。いしいしんじという作家に「麦踏みクーツェ」というのがあります。直接に「麦踏」の話ではないのですがぜひ多くの方に読んでいただきたい小説です。★ また、朝日新聞愛媛版「愛媛俳壇」にて、麦踏や地球は丸くないのかも で組長に選をいただいたのもうれしい出来事です。自分でも好きな句でしたので。そのとき組長において「アニミズム」と評していただきました。この「麦踏」には「アニミズム」と呼ぶべき何かが内包されているのかもしれません。土着、原始と言い換えてもいいかもしれません/すりいぴい
○「麦踏」は文学の世界でも取り上げられている素材。後出「お便り」のコーナーも参照して下さい。

●兼題季語「麦踏」は「麦を踏む」など名詞と動詞を分けてもいいのでしょうか?それでちょっと迷いました…/紀友梨
●四文字の季語が兼題になると、上五、下五、中七と、どこで入れたらぴったりするのかと、毎回悩みます。/岡田きなこ
○そんな悩みのヒントとなるコメントも届いています。以下紹介しておきます。

●4音の季語なので、とりあえず上五を「麦踏や」としたくなるところですが、「麦踏むや」「麦を踏む」もあり得ますよね。切らない場合も、「麦踏の」「麦踏は」「麦踏を」「麦踏みて」「麦踏んで」「麦を踏み」など、様々な形が考えられます。けっこう悩みました。切るか切らないか、動詞を表出させるか否か、バランスを考える練習になりました。俳句ポスト365の過去回では「種蒔」「蘆刈」などが参考になります。/いかちゃん
●悠久の時の流れ・承継。全地球的でありながらささやかな営みを感じる、個人的には不思議な季語です。「生活」分類の季語は自身で経験するべきなのですが、なかなか事情が許さず・・。環境の整う小学校や幼稚園なんどでは麦を育て、麦踏を行っているところもあります(youtubeなどで公式にUPされています)。「生活」分類季語でありながら「地理」の要素も少しあるのかなあ。でもやはりこの季語には「人間の暮らし」が見えなければ。★ 「麦を踏む」(句末)、「麦踏んで~」「麦踏めば~」「「麦踏むや」などとすれば、まさに作者が今踏んでいる感じがします。「麦踏」は行為のことでありながら、麦を踏んでいる人、の感じも持ちます。動詞(~蒔く、~植うとか)を含んだ名詞季語って面白い。見ているのか自らしているのかがわかる、というのも大事なのかなあ。と麦踏経験のない私の理屈でした・・。★/すりいぴい

◆季語雑学部
●季語雑学部 まんが日本昔ばなしのデータベースによりますと、鳥取県の民話に「ソバと小麦」というお話があります。それによりますと、ソバと小麦がおしくらまんじゅうをしていると、冬の冷たい川を渡ろうとしているお坊さんを見かけ、ソバはお坊さんを助けてあげようとし、小麦は笑ってからかうという展開。ソバはお坊さんを背負って冷たい川を渡り、その影響で足が赤くなってしまうものの、お坊さんからお礼として寒い冬を過ごさなくてもよくしてもらい、反対に小麦は寒い冬でも外で過ごさなくてはならなくなり、しかも人に踏みつけられるようになってしまうという内容です。/山香ばし
○民話って、善意と悪意が半々に盛られてることが多いよね。日本昔話は、うちの孫たちも好きらしい(笑)。

◆俳句文法研究部
●俳句文法研究部 俳句における文語文法、旧仮名遣ひの解説本もいろいろありますし、高校の教科書・副読本を読み返してらっしゃる方もいるのですが、そういう手段を持ってない方が、ちょこっと覗いてくれたらいいなという気持ちで毎回投稿しています。 ということで、過去・詠嘆の「けり」は、活用語の連用形に付きますので、「読むけり」ではなくて「読みけり」となります。「活用語の」というのがミソで、動詞だけでなく、「多かりけり」のように形容詞にも付きます。形容詞の場合は、連用形としてもう一つ、「多く」のように「く」で終わる形もありますが、「けり」はこの「く」となる連用形には付きません。 活用語ということは助動詞にも付きます。「読まず」といった打消しの助動詞「ず」に付くと「読まざりけり」のようになります。「ず」の連用形にも2つの形(「ざり」と「ず」)がありますが「ざり」のほうに付きます。 もう一つ、活用語で形容動詞がありますが、形容動詞の場合、連用形と終止形が同じ形になるので、終止形に付いていると誤解しがちですが、連用形です。「静かなりけり」の「なり」は連用形です。形容動詞の連用形も2つの形(「なり」と「に」、「たり」と「と」)がありますが、「なり」又は「たり」に付きます。/ひでやん
○ひでやんの解説を、ノートに自分で書き写していくと、俳句専用の「ここを気をつけようノート」ができるんじゃないかな♪

●聞くは一時の何とかで、初歩的な質問です。句を詠んで文字に表わすとき、口語体か、文語体か、旧仮名遣いか、どれが良いのか、どこまで使いわけるべきか、全く分かりません。主に動詞や助動詞などです。最初の句は現代語でない句にしました。日常生活はほぼ百パーセント現代文ですので、児童の句にさえ感服します。 現代かな遣いと旧仮名遣いの両方とも可能なとき、どちらを選択すべきなのか。/無尾
○一句においては、現代仮名遣い、旧仮名遣いを混在させるのはアウトです。どちらが良い悪いということではありませんから、自分自身で選んで下さい。
 一方、文体については、口語体と文語体をかき分けるのが一般的ですが、作者の意図として、敢えて混在させるケースもあります。

○俳句文法研究部の素材ではないかもしれませんが、ウロさんの長文レポート。掲載しておきます。
●兼題「重陽」の天位選の句について干珠さんが異議をたてていましたが、その記事に疑念をもちましたので以下反論します。/ 須臾の間を重陽の富士過ぎゆけり   くらげを / が天位選の句ですが、干珠さんの異見のひとつは「須臾の間」の文言が事実と異なるとの趣旨でした。先生は「ほんの短い間に、重陽の富士が過ぎていったという一句は、新幹線の車窓に観る「富士」を思わせます」と述べておられます。/ 「須臾」は外来語ですが、インド語の原義は「短い時間」と「瞬時」の別々の2語句を音写したものだそうです。そのため字義の解説が辞書の編集者によって二つに分かれ、「しばらくの間」「わずかの間」「時の間」「すこしのあいだ」「すこしのひま」「しばらく」「しばし」「暫時」というグループと「瞬時」「一瞬」「咄嗟」とするグループにわかれています。「暫時」グループは、「瞬時」を「刹那」に当てています。「須臾」も「刹那」も仏教用語で、インド語の漢訳です。/ 「新幹線から富士が見えた」のは暫時のほうの意味の須臾であって、すこしもおかしくありませんが、富士の見え方は、わたしの経験で新幹線の車内アナウンスが「きょうはよく晴れていて富士山がよく見えて・・・」と流れ、慌てて目を挙げたときはちらっとしか見えなかったという瞬時の「須臾」もないわけではありません。くらげをさんの句は暫時のほうで、乗客はいっとき幸せな気分に包まれたのだろうな、しかし、このいっときは稀有の時間であって、まさに「須臾の人生の須臾の間」という心理的時間を表現しているのだなと思います。/ 「須臾の人生」と書きましたが、人生を須臾とする文言は無数にあり、(例。「須臾の身を以て悠々たる歳月を送迎し…」ほか)この場合は一瞬どころか、90歳の人生でも「ちょっとの間」なのです。もっと富士を見たい、もうあと50年は生きたいという気持ちが「須臾」なのです。/ 次に、「須臾の間」という表現についても言葉の重複ではないかというのが干珠さんの論難の二つ目です。「須臾」には時間の要素があり、「間」を組み合わせるのは「言葉の重複」ではないかという趣旨です。/ 「以十月二十五日得二腹病一、須臾間無二休息時一」(正倉院文書)でみるようにこういう語法は昔からあります。「用例.jp」(乞ネット検索)では、吉川英治・中井英夫・高千穂遙・田辺聖子(「そこでは、浪花っ子の私の感覚でいえば、日が天空にあるのは全く須臾の間である。」 … 田辺聖子『イブのおくれ毛 Ⅱ』)・九里史生・松下竜一・北杜夫(案外短い須臾の間のような気もする。 … 北杜夫『楡家の人びと (下)』)・横溝正史・岡本かの子(僅かに得た人生の須臾の間の安らかな時間を、ひたすら受け容(い)れようとして、日常の生活意識を杜絶した人々がみんな蝶にも見える。 … 岡本かの子『母子叙情』)・南方熊楠・泉鏡花・池宮彰一郎・嵐山光三郎・浅井ラボ・牧野信一・宇神幸男・細井吉造・駒田信二の各著作に「須臾の間」の表現があると29例を示しています。/ 辞書の「須臾」の説明にも既述のように「しばらくの間」「時の間」があります。(ほかにもデジタル大辞典・日本国語大辞典・goo国語辞典・コトバの意味辞典・古語辞典)。「暫く(しばらく)」は「すこしの間。当分の間。」とあります。「須臾」の訓み仮名に「チョット」や「シバラク」と振ったものがあり「須臾ノアヒダ」も普通の言い回しだったようです。/ いずれも時間の要素を無視したか、重ねて焦点を絞った表現になっています。/ 「間(ま)」とは、なにかを調べてみました。連続して存在する物と物との間に当然存在する間隔の意だそうです。「勉強の合間」「隙間」。類義語に「あひだ(あいだ)」がありますが、平たく言うと、マとの違いは、マが同じものの相対的スペース(音の切れ目・途切れなど)、アイダが違うものの相対的スペース(近接している机と壁の空間など)だったのですが現代では同じ意味に融合しています。しかし使い分ける場合が結構あり、「マがわるい」(「アイダがわるい」とはいわない)、「マぬけ」「まのび」「まが持てない」季語「梅雨晴間」「雪間」「アイダがら」「このあいだ」「あいだみ」(休憩すること)「あいだ夜」(会う夜と会う夜のあいだ)などに用法のちがいが残っています。/ 「マ」は継続する時間のスキマをいうだけでなく、時の経過すること自体を指す意味もあります。「間を渡す」(うまくその場を取り繕う)。その意味で「瞬間」とは「瞬時という同質の点がつづいて短い線になったもの」という解釈から、「須臾」という点の集合が一定の大きさで成立するイメージが「須臾の間」であると思います。 / なお、「重ね詞」は日本語の特質で、オノマトペの延長線上に発生した修辞法のひとつです。「しばらく」に対して、「屡々(しばしば)」「今しばらく」は時間要素の重複がありますが、冗漫でない限り、排除すべきではないと思います。/ 「須臾の間」は短い間ですが、季語としてのスキマでは、「梅雨晴れ」が、梅雨が明けて晴天が続くようになることをいうのに対し、「梅雨晴れ間」は梅雨がまだ明けていない、梅雨の最中に晴れ上がることを意味する、という微妙な違いがあります。/ 俳句の実作例でみると、「須臾にして消失した」という形と「須臾の間残った」という形が見られます。つまり、同じ現象でも「三分で消えた」と「三分間見られた」の観測者の受け留め方のちがいではないでしょうか。せまいスキマを重量感のある富士がすり抜けていったという時間軸と空間軸の交錯を季語が仲立ちし、場を新幹線の車窓に設定したとする講評はすばらしいと思いました。/ 以上の点から「須臾の間」はアヤマリどころではなく、みごとな措辞だと思いました。 /ウロ

◆こんなお便り、質問届いてます!
●いじめじゃないのよ。あなたのためよ。/こま
●どこで踏むの?/こま
●こちらではあまり麦踏みの光景を見た事がなくて、検索してみて初めて そんな事があるのか~?と思いました。 想像するにもちょっと遠い感じです(^^;)/りこ
●麦を踏んでみたいです。画像で見ると気持ちよさそう!/みつれしずく
●麦踏みっていう言葉を初めて知りました。寒さに負けずにしっかりと強くたくましく根をはらせるために麦踏みを11月頃から乾いた時にすることとかわからないことも調べて楽しいです/かなこ
●麦の産地に住んでいますが麦踏をしているところは見たことがありません。ましてややったことなど。生活に全然入って来ない。難しいです。/珊瑚月
●麦踏みは、数回行われるようですが、全て麦踏と言われるのでしょうか。/寿女
●麦踏をやったことも見たこともなく途方に暮れましたが(居住地近辺のどこで麦踏をしているか見当もたちません)、何とか投句にこぎつけました。新しい兼題に接するたびに、如何にぼーっと暮らしているかを思い知らされます。知らないということに気付けることが新鮮で楽しいです。/小笹いのり
●難しい季語ですが、昔の人の辛抱強さや哀しみを感じることができました。/紫蘭
●米作り,餅つきはありますが,経験のないものをどう詠めばよいのでしょうか。経験できれば一番ですが。/沢拓庵
●よろしくお願いいたします。「麦踏」は全く知らない作業でしたのでネットで調べていたら「麦の芽がロゼット状のうちに行う」だったり「分けつがよく出る」だったりと、更に専門用語が出てきてどんどん深みにはまっていきました・・・。/天水郷
●麦踏み、全然馴染みがないので、ネットとYoutubeに頼りました!麦踏み体験教室なんかもあって、実はかなりメジャーな生活行事なんですね!/南方 日午
●麦踏は身近に見たこともないので、YouTubeで見てみました。観光客や小学生が体験できるところもあるんですね。トラクターで行う動画もありました。/夏 湖乃
○皆さん、困惑気味の兼題ながら・・・夏湖乃とは、先だっての句会ライブで会ったね。広がっていく俳句仲間の存在が楽しい♪

●麦踏見なくなりましたね/やっせん坊
●「麦踏」というお題で、懐かしい日を思い出しました。 もう40年以上前、麦踏みをしました。 遊び半分なのに、芽を踏むと褒められたなぁ~と。/どくだみ茶
●麦踏みは、30余年前に山梨で1度しました。踏んでいる実感がほぼなかったように記憶しています。麦畑は実家の近くにありますが、持ち主を知らない畑に勝手に入って踏むこともできず、、、私には体験の難しい季語でした。/黒子
●足を地面に直角におろして麦を踏むので、本当に足腰も鍛えられます。麦は踏まれるほど強くなるのと同時に、麦を踏むほど子供は足腰が強くなる。ということかもしれません。/砂山恵子
●お題は「麦踏み」ですが、「麦」という言葉から、 人々の腹を満たす穀物である。ある種、人間の食の原点の一つとも言える。 だからこそ「食」や「食糧不足」は、現代の大きな社会問題と繋がる。その辺りを句に込められたらと思い詠んでみました。/のもとみな
●いつ頃から二毛作がなくなったのでしょうか。でも最近はビール用の大麦が二毛作で作られるようになってきました。田んぼから畑へ水の制御が可能になった事も大きな理由だそうです。/はまゆう
●お正月、伯母に麦踏み体験を聞きましたが、麦踏みより脱穀やら牛を飼ってた話に。とにかく草履か草鞋で靴ではなかったと。 小学校の校庭に、石が混じったコンクリート製のローラーがあったのですが、鉄を供出した戦時中のものだったかも。石混りだと芽が傷むかな。麦を踏んだら植物体はアセチレンガス(リンゴから出るやつですね)を出してゴツくなり耐性を高めるとか。北海道のローラーでの麦踏み、なかなかハードに踏むようです。 /わこたんのまま
●今日は大寒の日です。鹿児島市は三月上旬の温かさとテレビがいっています。 麦踏みは楽になったではないかなぁと思っています。しかし 高齢化で麦踏みをする人も無くなってしまったとも聞きます。そのうち 麦踏みどころか 麦を作る人もいなくなるのでは危惧しています。 娘が「お父さん 85の人が心配することはないよ。」と言いますが、どうなんでしょうか。/マツイミキロウ8191
○娘の台詞が可笑しいが♪ 俳句を通して環境問題にも思いを及ぼす。それが俳人なだよ、娘よ(笑)。

●近頃はみな機械化ですね。農業人口の高齢化が背景にあるようですね。/忍冬
●兼題の「麦踏」。 昭和二十四年生まれの私でも、祖母との微かな思い出があるのみです。なので今ではほとんどの人が、現実みのない季語だと思われると思います。 うどん県を名乗る我が県 「讃岐の夢2000」と言う小麦を栽培しているが、麦踏みをしているのを見たことはありません。/里甫
●麦踏はローラー使うのしか見たことないなぁと思ってオンライン吟行でいろいろ見てみました。無心になれる麦踏やりたいなぁ。 歳時記の麦踏の例句は写生が多いように感じました。/離松
●毎度のことですが全く馴染みも経験のない季語でうろたえます。難しい! 夫は子どもの頃やったことあるそうで、根掘り葉掘り聞こうとしたら「なんで?」俳句の季語でこれで俳句を詠まなきゃならんのだと説明するも「ふーん」的な軽い扱い。 意外と楽しかったらしいです。今はやるとしたら機械だそうです。/古都 鈴
●麦踏を歳時記でひいただけでは実感が沸かなかったので動画を検索してみました今は小学校などでも麦踏みを授業に取り入れ体験させたりしてるんですね子供たちは先生の説明を良く聞いて元気に青い葉の伸びた麦を声高らかに行列して麦踏みをしてましたその他にも色々な動画があり、一歩一歩丁寧に足を進ませたり畝間を跨いで二畝を同時に踏んだりと色々な踏み方をしてました勿論、現代では機械を使ってもいます参考になりました麦踏は何回も行われ、春の季語ですが冬、大寒の頃することもあることも知りました /斗三木童
○愛媛にも麦畑の広がる地域があります。ローラーを押す小さな人影も「麦踏」という季語の現場です。

●席題「芙美子忌」を「踏みこぎ」と聞き違えて即座に句をものしてしまう御年90歳の句友に聞くと、当地(芸南)は暖かいから麦踏みをやらないとの談でしたが、同じ町内で、1947年生の人はワラジかゾウリで麦踏みしていた、1950年生の人は、靴を履いてする人を見たとのこと。 霜柱対策だけでない効果があるらしいということを納得。『はだしのゲン』でも麦が重要なモチーフになっていたことを思いだして調べると、関連して名付けられた麦があるそうです。すっかり徒長し、逞しくもない我が子。もっとぎうぎう踏んでおくべきでした。/わこたんのまま
●ふるさとは稲作ばかりで、麦畑はわたしの記憶にありませんでした。しかし、麦踏みと聞いて思い出すのは、小学校の図書館にあったはだしのゲンです。ぱんやうろんを楽しみにしながら親子三人で麦を育てる様子や、麦のように生きろという父のことばを、わたしは思い出しました。/古瀬まさあき
●兼題の「麦踏」は難しかったです。小学校の国語の教科書に「麦踏」の文書が載っていて、生えたばかりの麦を踏むなんて枯れてしまうと思っのに、農家の同級生が麦を踏んで強くするのだと言ったのでビックリしました。 堤防から広い麦畑を見るといつも思いだします。/杉山 ちとせ
●麦踏という言葉で、思い起こすのは宮沢賢治という私の故郷のかけがえのない詩人にして冷害に対して強い品種を創造した科学者です。/村上優貴
●*今60代の東京生まれ・育ちの農家の子でない私が「麦踏」という言葉を知ったのは、「冬景色」という唱歌ででした。♪さ霧消ゆる…人は畑に麦を踏む…。歌詞には、霜・水鳥・小春日・かへり咲・時雨…等、冬の季語たくさん! 「麦踏」が春の季語とは思いませんでした。 *でも昭和40年代前後は、まだ身近に麦畑はあって、人が麦踏をしているのを見かけることはあったような…。「三ちゃん農業」(お父さんはサラリーマン、お祖父ちゃん・お祖母ちゃん・お母さんが農業をする)なんて言葉もありましたが…。 *今や、家庭菜園を営む庭もなく…。でも参加できる有償・無償の農業イベントは多くなっているようです。web上でも「麦踏体験」(昔ながらの人が踏む)なんていうのを見かけました。/真繍
○そんなイベントが?!と思ったが、逆にイマドキならではの体験学習なのだろうねえ。

●今回も先ずは麦踏の季語の現場に立とうと思い、麦畑を探しました。これは案外簡単に見つかりました。片道40kmかけて車で通勤している道は、農山村地域のど真ん中を通っていて、麦畑が広がるところがあるのです。  今もすでに青い麦の芽がかなり伸びているのですが、畝の幅が1m以上あり、どう見ても人の足で踏むには適していません。  たまたま作業中の方に話を聞くと、今はトラクターでけん引したローラーでしているとのこと。また、温暖化で霜柱が立つことも減り、ローラーを掛ける回数も減ったとのこと。  残念ながら、季語の現場は立つことはできませんでしたが、麦畑に立って、少しだけ季語の気分を味合うことはできました。その経験が句に生きているといいのですが。/クラウド坂の上
●横浜では麦踏イベントを実施しているようで、運動会をしながら麦踏をやっているようです。こういう麦踏って楽しそうですね。/よしざね弓
●麦踏をしたことがないどころか、まともに麦畑を見た記憶がありませんでした。ネットで家の近くに麦畑が無いか調べたところ、一駅向こうのコンビニの裏手に麦畑があることを知り、休日に見に行きました。どうも麦踏は終わっていたようでしたが、畑の様子が見られただけでも良かったです(多分)。麦踏の動きや音は動画で追えるだけ追いました。近年は機械で麦踏をするそうですが、ネットで調べたところ、バイクで踏むこともあるそうで驚きました。ちなみに、麦踏体験が出来るイベントもいくつか発見したのですが、この兼題の締切までに参加可能なイベントの参加費が新大阪~東京の新幹線に乗れそうなものだったので、諦めました(貧)。/次郎の飼い主
○季語の現場に行くのがベストではあるが、なかなかそうもいきませんなあ。麦踏みしたことのある人は絶滅危惧種か?

●ハイポニストの方々で麦踏を経験された方は何人いらっしゃっるでしょうか? 最近は機械の入る広い土地での麦作りが主みたいですが、ふた昔以上ずっ~と昔は山間の狭い土地でも作っていました。 山奥の私の故郷では、今はもう麦を作っている人はいません。 私の家も私が中学生の頃はもう作っていませんでした。 あの地味で単純な麦踏、結構好きでした。ひたすら物思いにふける時間が好きだったのかな? 変な小学生だったのかも。/大塚迷路
○虹ハンター迷路さんは、麦を踏む哲学者でもあったか~(笑)

●麦踏の歴史(由来)に興味が湧き調べて見たのですが、ハッキリしませんでした。古代文明を築く一端を担ったのではと思ったのですが、近世日本での習慣らしいです。なんだか残念。/秤防人
●麦踏の作業は、やはり四季のある日本特有のものでしょうか。麦踏は霜から根が浮いて枯死を防ぐと同時に、踏まれることによって発生するエチレンガス(成長・成熟ホルモン)の作用を利用して分けつを促し多く実をつけるための工夫とあります。季節の変化・厳しさを豊かさに転換する知恵は、自然そのものから得た知恵でもあるのだろうと思います。人力から文明の利器へと変化を遂げた現代ですが、できるだけ人の足による麦踏の風景を詠みたいなと思いながら作句しました。大地(麦)を黙々と踏み込んでいく作業を想像しながら、組長の絶滅季語の本にあったように、踏むこと=意識を地に向けること、それはやはり自分自身とその内側にあるものに深く向い合う作業に繋がっているような気がしました。/蜂里ななつ
●「将来に向けてあえて苦しい環境を与え成長させる」という含意がとても道徳的で、類想が多くなるだろうなと感じました。/る・こんと
●馴染みの薄い「麦踏」という季語。せっかく芽を出した麦を踏み付けていいのか!?そんな驚きから句作は始まりました。踏み付けるという行為は、子供は好きなのではないでしょうか?また、やってはいけないようなことをすることも子供は好きだと思います。よって、「麦踏」は子供が喜んでするのではないか?という発想になったのですが、もしかしたらこれは類想の落とし穴かも…。/高橋寅次
○句作についてのさまざまな工夫。類想の穴に落ちないための工夫は、実作の中でしか手にできない経験知です。

●雪女の結果発表とても勉強になりました。季語の分類が句のヒントになるということに初めて納得しました。 今回の麦踏は特に意外性もなく人事の季語ですが、それだけでも、人の姿が見えない句はなんかちがうな? と意識する助けになりました。(遠景にしすぎて見えないかもな句も投稿してますが) /離松
○季語の分類というのは、時候・天文・地理・人事・動物・植物の六つです。霜と霜柱の違いなんてのも、興味深いことですね。

●些細な興味本位から、〈同一人物の複数俳号の投句〉をしてしまいましたことを、深くお詫びします。多忙にかまけて、月曜日から水曜日までのコーナーをちゃんと読んでいなくて、〈注意事項〉をうっかり失念していました。深くを反省しております。今回からは、あらためて、本来の同一俳号で投句させて頂きます。 /きゅうもん@木ノ芽
○〈同一人物の複数俳号の投句〉 水曜日にて、強くお願いをしております。さらに俳号に姓をつけて下さい、ということも同時にお願いをしております。似たような俳号によるトラブルが発生しております。皆で気持ちよく俳句を続けていくための、小さな協力をお願いします。

 

●新しい投句・投稿システムについてのお願い
 投句・投稿フォームが新しくなっています。投句数の増加に伴って、仕分け作業に多くの時間を要します。以下の事項を守って投句投稿して下さると、組長の負担が大きく減ります。ご協力よろしくお願いします。

①俳句の欄には俳句のみ記入して下さい。一つの欄に一句を厳守。

②「俳句に対するコメント」の欄は記入する必要はありません。(特に気になることがあれば記入していただいても結構です。)

③「ギャ句」「聞き倣し季語」は俳句欄に記入して下さい。ギャ句の原句は「俳句に対するコメント」の欄に必ず記入して下さい。

④「兼題季語についての質問・考察・情報(火曜日「俳句道場」)」は、火曜日「俳句道場」への投稿です。

⑤「『俳句ポスト365』への感想・質問・要望・俳号の変更・各地の吟行情報など」「組長&ハイポニストたちへのお便り・近況報告など」はそれぞれ水曜日への投稿です。内容に合った欄に書き込んで下さい。

夏井先生

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