俳句ポスト365結果発表

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第241回 2020年4月2日週の兼題

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天

よぢりの果の此処が鰻の首根つこ
いかちゃん
「鰻」は動物に分類される季語なので、今回は「鰻」の一物仕立てにキャッチャーミットを構えておりました。そこに飛び込んできたのがこの句。「鰻」がクネクネ逃げるという句は山ほどありますが、表現をよく工夫しています。
まずは言葉の選び方。「よぢりの果の」って何?「此処が」ってどこ? と読者の関心を十分に引きつけておいて、主役の「鰻」が登場する語順。これがニクいのです。「此処が~首根つこ」と押さえることで、読者の手の中に「鰻」の首の感触を渡すのですから、なかなかのもんです。さらに、「よぢりの果」は抽象的意味を持たせているのかと思わせておいて、読み終わってみれば映像化がなされていることに気づく。名詞を重ねていくことで「鰻」を掴む動きを見せるわけですから、これまた巧いものです。
同時投句「うなぎ焼け焼け黒船の葡萄酒なぞ」も自在でした。

地

鰻筒泥の花湧く水底へ
斗三木童
「鰻筒」は人事?とも思いますが、本サイトの底本としている『カラー版新日本大歳時記』(講談社)には、「鰻」の傍題として載っています。食べられる生き物、特に魚類貝類はそれらを捕る現場も、季語の成分に含まれると判断するのが定石でしょう。
「鰻筒」は鰻を捕獲するための道具。それを沈めることによって川底の泥が動いているだけなのですが、「泥の花」と比喩し「湧く」と描写することによって、詩が生まれます。最後の「水底へ」の「へ」も佳い選択。沈んでいく「鰻筒」の動きをしっかりと見せてくれます。
同時投句「やかんから水飲む男うなぎ掻」の表記にも心が行き届いて。
苔岩に顎すりつけて鰻掻く
三重丸
「鰻掻く」も「鰻」の傍題に入っているのですが、面白いことに人事の頁にも「鰻掻(うなぎかき)」が独立した項目として載っています。このような歳時記の揺れを訝しむよりは、その揺れも季語情報の一部であると受けとめるほうが的確かと思います。
さて、この句です。「苔岩に顎すりつけて」一体何をしているのかと思いきや、「鰻掻く」。さきほどの「鰻筒」ではこんな動作はしません。「鰻掻(うなぎかき)」と名詞にするのではなく、「鰻掻く」と動詞にしたことで生まれた臨場感。「苔岩」のぬるっと湿った感触や、「顎すりつけて」という無理な姿勢にも現場証明があります。
うなぎの上のうなぎの上をうなぎうなぎ
すりいぴい
ちょっとズルイぐらいに愚直な写生(笑)。捕獲され、樽に入れられた「うなぎ」はまさにこのような状態です。これを書こうするか否か、書いたもん勝ちというコロンブスの卵的な一句かも。ねちゃねちゃした音も聞こえてきました。
くねりたるうなぎ目釘を軸にして
仁和田 永
この場面を描きたくて苦労した人たちもいました。「うなぎ」の断末魔ともいえるあの動きを「目釘を軸にして」と淡々と描写。これが書けるか書けないかが、勝負の分かれ目です。写生の眼をしっかりと持った作品ですね。
同時投句「鰻捌かれ目釘に残りたる頭」も生々しい。
まな板の昏みは鰻の目打ち穴
トポル
こちらは「まな板」だけを描写しました。一カ所、目に付いた「昏み」があるよ。これは「鰻の目打ち穴」なのだよ、と淡々と述べます。「鰻」の姿がないのに、「鰻」の存在を読者の脳内に再生させる。これも俳人の力業です。
同時投句「銘酒屋の女のとる鰻丼てかる」の最後の動詞に納得。
万札に昏き緑や鰻めし
洒落神戸
「万札に昏き緑や」の「や」は強調。「昏き緑」という把握が「万札」の一つの特徴をよく描写しています。中七「や」で切った後に出現するのが「鰻めし」だという展開の妙。庶民の憂いと喜びが揺れ動くのが、まさに「鰻めし」です。
同時投句「俎板の一寸足らぬ大鰻」は数詞の強み。
鞄には履歴書二枚鰻食ふ
中岡秀次
「鞄」に入っている「履歴書二枚」は再就職のためのものでしょうか。就職活動がうまくいってるのならば、「履歴書」は会社に提出しているはずですから、なかなか思うようにいってないのでしょう。「鰻食ふ」は景気づけか、やけっぱちか。まずはこの「鰻」を力として、次の会社へ向かうのです。
中核派てふ過去とほし鰻喰う
月の道馨子
「中核派」という「過去」があるのです。学生運動に没頭し、デモに参加し、警官に立ち向かった若き日の自分。そんな「過去」を懐かしんでいるのか、思い出したくないものとしているのか。「過去とほし」に複雑な感情が見えます。下五「鰻喰う」は、真っ当な社会人となっている自分を肯定しつつ納得はしてない、そんな思いを匂わせます。
鰻重や店に作業着俺らだけ
吉行直人
作業が一段落した慰労の昼飯か。社長が奮発してくれてるのかもしれません。「鰻重」を意気揚々と人数分頼んだ後の、「店に作業着俺らだけ」という素の実感がいいですね。「鰻重」がくるまでの時間を、居心地悪く持て余す男たちが見えてきて実にリアル。
同時投句「鰻焼ける煙音楽性の違い」も意外な展開の後半が面白い。
室外機の熱に絡まる鰻の香
はごろも
鰻屋の前を通ると、確かにこんな「室外機の熱」に出合います。「熱に絡まる」までは、湿気を含んだ熱風が吹き付ける不快感のみですが、下五「鰻の香」がでてきた瞬間に、触覚・嗅覚が一気に刺激されて場面が完成する。この語順がとてもよいです。他人が食う「鰻の香」ほどうらやましく、恨めしく思われるものはないですよね(笑)。
同時投句「歌丸の古典聴きたし鰻食ふ」は粋です。
鰻飯平らげて寄席あと三本
ふるてい
「鰻飯平らげて」の悠々たる満足の後に、「寄席あと三本」とくる展開がいかにも江戸前な感じで、いい! 実にいい!(梅沢富美男の口調で@笑) 食べることも笑うことも、生きる力。「鰻飯」や「鰻重」が季語になるとかならないとか、それを気にするよりは、生きてる実感を書くことに精力を使うほうが生産的だと思うんだよね。
同時投句「手の筒をぬぬぬと鰻抜け出しぬ」はオノマトペが楽しい。
寄席跳ねて上野で鰻なんてどう?
江口小春
誰かの話し言葉をそのまま書いても俳句になるのです。有名なのが、母親の言葉をそのまま書いた正岡子規の一句「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」。
先ほどの寄席ネタの句とはまた味わいが違います。「寄席」を楽しんだ後、「上野で鰻なんてどう?」と誘いかけているのか、誘われているのか。どちら側に自分を置いて読むかによって、味わいもまた微妙に変わります。最後の「?」の敢えての選択も、利いてますね。
なんとなく隣の席の鰻を見
きゅうもん@木ノ芽
食堂やレストランで、ついついこんな態度をとってしまうことってあるんだけど、「鰻」の場合は、いつものそれとはちょっと違う気がする。松だと思われるのが運ばれていく「席」を横目で眺めたり、あそこの「席」はウチと同じ梅だなと勝手に仲間意識を抱いたり。これが「鰻」というモノだなと、微苦笑した一句です。
違う違う鰻はこんな味じゃない
笠原理香
さらにこれを読んで爆笑。「鰻」が食べたくて、無理して無理して買った・・・スーパーの、デカいわりには安い「鰻」だったのに。一口食べてみて「違う違う鰻はこんな味じゃない」と心の中で叫んでしまう、この喪失感。嗚呼、これも「鰻」ならではの呟きだよと大共感した一句。

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