俳句ポスト365結果発表

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第246回 2020年6月25日週の兼題

藤袴

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天

千年はゆたかでわづか藤袴
まんぷく
源氏物語へと連想を繋いだ人も多かった今週の兼題「藤袴」。それも一つの発想法ですから悪いことではないのですが、ややもすると、連想が同じあたりに集まってくることも否めません。
この句が見事だったのは、連想から「千年」というキーワードを手に入れた段階で、それ以外の源氏物語に関する情報を入れないと決めたことです。つまり、「藤袴」と「千年」を取り合わせれば、読者は一句の背後に源氏物語の世界を想起してくれるに違いないと、判断できているということです。
「千年」とはなんと「ゆたか」な年月だろう。そして、なんと「わづか」な時間だろう。この悠々たる感慨を受けて、下五「藤袴」は豊かに咲き、僅かな時間を彩るのです。
フジバカマという種は、秋の七草でありながら、一時は絶滅寸前となりましたが、今は各地でフジバカマを植える活動も広がっています。これらの動きもまた、「千年」の中のささやかな出来事に過ぎないのでしょう。

地

折り取れば藤袴しろく発火する
いしはまらんる
下五「発火する」が口語ですから(文語では「発火す」が終止形)、上五「折り取れば」も口語だと判断してよいでしょう。「折り取ったとしたら」と仮定の意味が読む以外にも、「折り取るときはいつも」「折り取ってみて気づいた」の意味もあります。
「藤袴」の独特の花のかたちから、「発火」という印象的なキーワードを見つけたのですね。前述の「~ば」の解釈のどれを当てはめても、それぞれの味わいが読み取れるのは、中七「しろく」の一語がうまく働いてくれているからでしょう。
指切は慎みなくて藤袴
コナラ
「指切」という言葉は得てして子どもの場面を思いがちですが、この句の「指切」は大人のそれに違いありません。何かを約束として願うのは、「慎み」がないのではないか。「慎みなくて」といいつつ季語「藤袴」に尽くす思いは、切なくて、静かに強い。一句の背後に、源氏物語の世界も匂い立ってくるような気がします。
藤袴奥は清水の湧き出ずる
あつむら恵女
季語「藤袴」に、水の存在を感じる人たちもいました。「藤袴」の群れ咲く「奥」には「清水」の湧き出る場所があるのです。その水は「藤袴」を育てる水でもあり、「藤袴」を探して集まるアサギマダラの水場でもあるのかもしれません。
「清水」は夏の季語ですが、この句の主役は「藤袴」。それぞれの季語の強弱もしっかり表現できています。
みづはみづ洗ひて淋しふぢばかま
RUSTY
「みづ」が「みづ」を洗うという表現がなんとも美しい一句。「みづはみづ洗ひて」の歴史的仮名遣いも、たおやかな印象を醸し出します。中七の最後に配される「淋し」という感情語が、「みづはみづを洗ひて」という美しい詩語と季語「ふぢばかま」をさりげなく繋ぐあたりの配慮もさすがです。
余談ではありますが、RUSTYさんは、先だってYouTubeで配信しました「あいうえお句会ライブ」にてギャラリー賞を獲得した、桃の句の作者です。
すれちがふ人濡れてゐる藤袴
季語「藤袴」の奥に水の印象を感じ取る人たちも多かったことは先ほども述べましたが、この句の場合は「藤袴→水→濡れる」と連想を一つ進めています。「藤袴」を探して山野を歩いていると、時折「人」と出会います。気がついてみると「すれちがふ人」が「濡れてゐる」ことに気づくのです。山頂のほうは雨だったのか、深い霧に濡れたのか。「藤袴」にも静かな湿度がおよんでくるような気配を感じる作品です。
モンゴルは秋のある國ふぢばかま
ずしょ
「モンゴルは秋のある國」という措辞が、広々として爽やか。行ったこともない「モンゴル」の平原に立っているかのような爽快感を受け止めつつ、「秋」の美しさや切なさも感じる。そのあたりの印象が豊かに広がります。「モンゴル」の野に「ふぢばかま」を見つけたような、嬉しさとさびしさが入り交じります。
いうまでもなく「秋」は季語ですが、「ふぢばかま」が主役として「モンゴル」の風のなかに咲いています。
木簡に破斯の名ぞあり藤袴
脩平
「破斯」とは、破斯清道(はしのきよみち)。平城宮跡から発見された「木簡」にこの名があり、ペルシャ人ではないかという説があったと記憶しております。「木簡に破斯の名」の部分は単なる事実ではありますが、「木簡」「破斯」「藤袴」三つの言葉が、良い距離感をもって一句を構成しています。「名ぞあり」と強調したあとにでてくる「藤袴」が、一句の世界の印象を深くします。
藤袴なみだ袋の甘からん
トポル
今回、「甘い」というキーワードを使った句も多かったのですが、フジバカマを乾燥させると甘い香りを発するという情報からの発想でしょう。この句は、「藤袴→甘い」から、「涙袋」が甘いに違いないと連想を一歩進めたのが勝因。季語「藤袴」がもっているさまざまなキーワード(甘い香り・秋の七草・絶滅危惧種・アサギマダラ・源氏物語など)を一句の底に滲ませつつ、センチメンタルに落としてしまわない。手練れの技というべき一句。
屠らるる鳥の色なる藤袴
仁和田 永
「藤袴」の花の色をなんと表現したらよいのか。そこに腐心した人たちも多かったのではないでしょうか。「屠らるる鳥の色」という比喩にリアリティを受け止めるか否かが、この句の評価の分かれ目。私は、「藤袴」の茎の色に交じる暗紅色の印象が強く残っているものですから、この比喩に惹かれたのだろうと思います。
このような比喩で描かれる「藤袴」は、残酷な鳥の死を痛む弔花のようにも思えてきます。
藤袴殖えゆく吾の死後の庭
比々き
ここまで見てきて改めて思うのは、「藤袴」という季語は地味な咲きようにもかかわらず、非常に深い世界をもっていることです。植物の季語で、歴史にかかわる長い時間を内蔵しているのは、桜ぐらいかと思っていたのですが、「藤袴」も侮れない力をもっていたのですね。
「吾の死後の庭」を思う時、慈しんで育てたさまざまな花たちは皆枯れ果て、きっとこの「藤袴」だけが殖えていくに違いない。その思いは、淋しいようでいて慰められるようでもあります。この曖昧な感情を表現し得るのが、季語「藤袴」なのだと思います。
「吾の死後の庭」に殖えてゆく「藤袴」には、アサギマダラが集まってくるかもしれません。ゆらゆらと翻るそのさまは、弔の歌のようでもあります。

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