俳句ポスト365結果発表

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第249回 2020年8月20日週の兼題

秋晴

  • よしあきくん一期一会の一句
  • 初心者向け解説コーナー今週の俳句道場
  • 今週のお便り
  • 人・並選の俳句
  • 天・地の俳句

天

秋晴や牛乳箱の青きれい
あつちやん
「秋晴」は言うまでもなく青いのだから、敢えて「青」を取り合わせるのは小さな勇気がいります。「牛乳箱」は、朝配達してもらう牛乳の受け箱だと読みました。
「秋晴」の朝を思いました。いかにも秋らしい晴天のなんと美しいことかと見上げ、玄関先に置かれた「牛乳箱」の「青」もまた「きれい」だと思う。ひょっとすると、つい最近、牛乳の配達を頼み始めた新品の「牛乳箱」かもしれません。「秋晴」を喜び、「牛乳箱の青」を素直に「きれい」だと誉め、そして真っ白な牛乳を飲み干す。なんと健康的な「秋晴」の日でしょう。なんの企みもなく、「きれい」なものを「きれい」だという。これこそが俳人の素直な心根。こんな感覚を忘れないでいたいと強く思った一句です。

地

ポケットのなかは秋晴れドラえもん
まこちふる
こちらは青と書かずに青色を取り合わせる手法。「ポケットの中は秋晴れ」からいきなり「ドラえもん」がでてくると、あの丸いからだの青が否応なく思いだされます。「ドラえもん」の「ポケット」の中はいつも「秋晴れ」に違いないと、楽しくなってきます。
継ぎ目無くこれは文句無く秋晴
あずお
「継ぎ目無くこれは文句無く」までは、何について述べているのか全く分からないわけですが、最後の季語「秋晴」が出現することで、なるほどと腑に落ちる。確かに雲一つない「秋晴」が見えてくる。作者の企みが嫌みなく成功しました。
秋晴は晴れの三乗プラス僕
すぴか
「秋晴」に対してさらに「晴れ」と重ねて、一体どう着地するつもりだ?と思うと、「晴れの三乗プラス僕」なんていう機知が楽しい。ただの「晴れ」を「三乗」したぐらい晴れてて、さらにご機嫌の「僕」を「プラス」したほどの「秋晴」なんだよ、という発想がなんともユニークで愛してしまいました。
鼻唄が届かん。深いわ秋晴
稗田鈴二郎
季節の特性として、秋の天が高いことも空が深いことも、私たちは知ってますが、「鼻唄が届かん」という一種の比喩によって「秋晴」の空の深さを表現した発想に惹かれます。途中の句点は、作者の呟きを表現する企みどおりの効果。「深いわ」は心の呟きか。秋の淋しさも匂わせます。
同時投句は、カギカッコ付きの作品「宇宙人歓迎、的な秋晴ね」
これまたツボにハマってしまいました。
今日から無職秋晴に目をひらく
古田秀
韻律がだらだらしてますが、これも内容に見合ったものだと判断できます。「今日から無職」という事実。「秋晴に目をひらく」という動作。サバサバしているようでいて、見開いた「目」には不安の影もよぎる。その心情に、読者もまた心を寄せるのです。
秋晴ゆうてもふられんのはいやや
司啓
「秋晴」は、作者の内面のさまざまな呟きを受け止めてくれる季語なのだということを、今回つくづく実感しました。嬉しくても悲しくても情けなくても「秋晴」は私たちの頭上にある。こんな気持ちいい「秋晴」ではあるけど、やっぱり「ふられんのはいやや」と思う。正直につぶやかれた心情を、「秋晴」は懐深く受け止めてくれます。
ひとが死ぬときの秋晴なのかもな
いかちゃん
こんなに美しい「秋晴」って見たことなかったな。これって「ひとが死ぬときの秋晴なのかもな」という思いが作者の心をよぎるのです。今、この瞬間も誰かが死んでいる。そして、自分が死ぬ時の「秋晴」がふと思われたりもするのです。
はじめての呼吸はこんな秋晴れがいい
さとけん
「はじめての呼吸」は、赤ちゃんが生まれて最初にあげる産声だと読みました。生を受けて初めての呼吸は「こんな秋晴れがいい」と率直に思っているのです。少し深読みをすると、自分が自分らしく生きられるようになった「はじめての呼吸」かもしれません。シンプルでいて、案外深い句。
秋晴やロケ弁ひらく足軽班
はまゆう
映画かドラマのロケ現場にも「秋晴」の空が広がっています。「秋晴や」と晴れた空を強調した後の「ロケ弁」の一語の経済効率。「ひらく」で昼食が始まっていることが分かり、下五「足軽班」によってエキストラの集団であることもわかります。「足軽班」から遠く離れたテントの下では、主役級の武将たちが豪華な「ロケ弁」を開いているのかもしれません。
秋晴や今東京に居ます先生
かむろ坂喜奈子
この「先生」とは誰でしょう。励ましてくださった、背中を押してくださった先生でしょうか。反抗ばかりして迷惑をかけた「先生」かもしれません。「秋晴」の空の下、志に向かって歩いているのか、今も挫折を繰り返しているか、はたまた生きる力を取り戻しての再スタートか。手紙文のような「今東京に居ます先生」という措辞は、さまざまな物語を想起させます。短編小説が何編か書けそうな作品です。

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