俳句ポスト365結果発表

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第4回 2013年2月14日週の兼題

日永

  • よしあきくん一期一会の一句
  • 初心者向け解説コーナー今週の俳句道場
  • 今週のお便り
  • 人・並選の俳句
  • 天・地の俳句

今週のお便り&俳句道場

☆今週の俳句道場~初級者向け解説コーナー
 さあ、今週も皆さんからいただいた投句をもとに、俳句のイロハを解説していきます。毎週読んでいるうちに俳句の作り方がわかってくる講座でございますよ。

●作句の楽しみ~♪
「前々回、春めくという題で句を出させていただきました。その時初めて白シャツが季語だと知り、驚きました。しかも夏。俳句の世界、私にはまだまだ得体のしれない魅力的なものです/純」←私もその魅力に取り憑かれて、ここまで深入りしてしまいました~♪俳句のある人生、季語のある生活の豊かさ、ご一緒に味わってまいりましょう。

絶滅の季語捻りたる日永かな 七草
「俳句を始めて、この年になって初めて知る言葉や事柄が多く、楽しんでいます。/七草」←『絶滅寸前季語辞典』『絶滅危急季語辞典』(ちくま文庫)の仕事は、今思い出しても楽しい作業でした。初めて何かを知るって、ホントにスリリングですものね~♪

●俳句の表記とは
日永ねと ほころぶふたり また明日 世四
 俳句は、五七五の間を空けずに、一行で縦書きのするのが正しい表記です。稀に、創作上の意図として空白を入れたり、多行書きにする場合もありますが、非常に特殊なケースだと考えて下さい。俳句の修行もまずは基本から。コツコツ積み重ねてまいりましょう。

●今週の季重なりブラザーズ
定位置に茜戻りつ珈琲日永 金銀パール
「2回連続の季重なりブラザーズの私ですが、今回は「茜」が怪しいかな。歳時記買い求める予定ですが、今暫くごめんなさい」と謝ってるのが可笑しい金銀パールさん。「茜」だけでは季語になりません。ご安心を~♪

「はい、季重なり/花屋」との確信犯も一人!(笑)。さあ、以下の句のどの言葉が季語なのか、歳時記片手に調べてみるところからの俳句修行でございますよ~♪

縁側で日永子猫と墨を摺る ちびつぶぶどう
猫じゃらし日永となりて声甘し 西条の針屋さん
障子戸を閉めて本読む日永かな 櫻龍
昼寝して二日年取る日永かな 花屋

 そして、こちらの季語は?

春うらら草木の香り空青き たーりん

 「春うらら」という季語の使い方には賛否両論あります。本来「麗か」が春の季語なのだから、そこにわざわざ「春」を冠するのは誤用であるという考え方が一つ。もう一つは、言葉というのは生き物だから「春うらら=ハルウララ」という音を楽しみ、その音を生かす句が生まれたからといって、それを否定する必要はないではないか、という考え方です。
 私はどちらに与するかというと、自分では「春うらら」という季語は違和感があって使わないけれど、「春うらら」が詩として成立している句に出会えば、それを楽しみそれを認めるという立場です。例えば、こんな句、楽しいじゃないですか~♪
 
春うららちりめんじゃこが散り散りに 坪内稔典

 私は、黒田杏子の弟子で、有季定型から俳句を始めましたので、「麗か」が季語として身体に強く刷り込まれています。ですから、「春うらら」を季語として使おうとすると、身体が抵抗してくる(笑)感じがするんです。でも、坪内さんの「ちりめんじゃこ」の句を読むと、取り合わせられた言葉の楽しさリズムの楽しさを、読み手としての私の身体が心地よく受け止めることも事実。
 逆に、たーりんさんの一句は、「春うらら」を使う必然性はあまり感じられず、「麗か」で充分成立すると思われます。そのラインで推敲されてはいかがでしょうか。

 全くの余談ですが、全国の学校現場で急に「春うらら」がはやりだしたのは、「ハルウララ」という競走馬が話題になってからではないかと思っています(笑)。あの頃「春うらら全然勝てないハルウララ」みたいな句が、あっちこっちの学校の句会ライブで沢山出てきてました(笑)。子どもたち、こんな言葉遊び大好きですからね~。

●添削という名の杖~♪
永き日に動物園でカバに会う れんげ畑
 「永き日には、俳人の坪内稔典さんなら、カバに会いに行くだろうなあ。そうだ、自分も砥部動物園にカバに会いに行こう、と思い、作りました。」れんげ畑さんのこんな発想から生まれた一句ですが、助詞のニュアンスを考えてみましょうか。

 【添削例】 永き日の動物園にカバと会う
       永き日や動物園のカバに会う
       永き日を動物園のカバに会う

 助詞はほんのささやかなニュアンスを添えたり、決定的に意味を変えたり、なかなか侮りがたい品詞です。何度も声に出して読み、その違いを吟味し、自分が表現したかったニュアンスに最も近いものを選び取ることが肝要です。

すれ違う散歩犬笑う日永かな 桜里
 「散歩犬」という言葉の縮め方がやや強引。全体をゆったり述べるためには、不要な言葉を外す必要があります。「すれ違う」「散歩」はどちらか一語あれば、それぞれを想像できますから、大丈夫。以下二例、どちらかを選べばよいでしょう。

 【添削例】 お散歩の犬の笑える日永かな
       すれ違う犬の笑える日永かな

永き日や男料理の煮込みかな う
 「春めいたせいか、久しぶりに腕をふるってみました」という貴方の俳号は「う」さん?…でいいのでしょうか。さて、この句の問題点は、「や」「かな」という強い詠嘆の切字が一句に二つ入っていることです。この問題の解決はカンタン!どちらか一つを外せばいいだけです。「や」の代わりの助詞は以下の二つが適切かな。どちらのニュアンスが作者の心に適っているか、考えてみて下さい。

 【添削例】 永き日の男料理の煮込みかな
       永き日を男料理の煮込みかな

また一人ギプスに落書きする日永 奈津
 「中八がどうにかなりませんでしょうか」との質問付き投句。字余りの場合は、どこかの一音か二音を操作すればカンタンに解消するのですが、如何せん、この質問に即答しがたいのは、上五「また一人」の意味が二通りに解せるからです。
 また独りぼっちで自分が自分のギプスに落書きをしているのか、また一人、他者が近寄ってきて、自分のギプスに落書きをしたのか。ここが分からないと「また」を外して良いのかどうか、語順を変えて良いのかどうか、判断しかねるのです。句会ならば「あなたが表現したかったのは?」とすぐに作者に質問できるのでアドバイスも可能なのですが、ここがネット俳壇のまどろっこしさ。
 添削とは、あくまでも作者の意図を踏まえた上でのささやかなアドバイス。奈津さん、再度のお便りお待ちしています。

磁石からふわり飛び出る日永かな 井深靖久
 「日永。磁石のように無機質な冬から解き放たれた風船に喩えてみました」と、自分が表現したい内容を添えて下さった井深靖久さん。ううーむ、この感覚には詩になる要素がありますが、原句十七音の字面がそれを表現できているかというと、ちと伝わらない…。むしろ、コメントの「磁石のように無機質な冬」なんて言葉はそのまま破調の一句になりそうです。
 とはいえ、掲出句はまだ創作&推敲の段階。井深靖久さん、今しばらく生みの苦しみを乗り越えていただき、いつかこの発想が作品として実る日をお待ちしています。

朝積むも宵まで永き日に溶くる 坂三 (Ban3dogs)
「名残り雪の季節になったようです。季題は、上五か下五に置くように、と練習してきましたが、この朝の雪の溶け具合を書いてみたくて。でも、「雪」は入れないで書いてみたくて、朧庵の皆に、出す、絶対に出す!と宣言したので、出してみます。」という意気込みが頼もしい坂三(ばんさん)さん…俳号をこう発音すると、日本食研のCMバンサンカン~♪みたい(笑)。あ、いや、そんな俳号のことはさておき、この難問、困ったなあ。「松山の、梅や菜の花の頃の『日永』観とは、金沢はまるで違うので、場違いかもしれませんが、これも、ネットの運命です」との添え書きもあるのですが、そもそもこれは、場所による季節感のズレの問題ではなく、何をどう表現するかという言葉選びの問題です。
 例えば、原句に最も忠実に、尚且つ最低限の意味が通るようにすれば、こんな感じになるでしょうか。

 【添削例】 朝に積み宵に溶けたり日永し

 が、果たしてこれを「雪」だと読んでもらえるかどうか…微妙です。さらに明確な季語である「日永」が一句において主役となっているのかどうかも、かなり疑問。板三さんの「雪という季語を入れないで、雪を描き、尚且つ一句の主役として別の季語を生かす」という挑戦は、超ウルトラ級の技にして、俳句界のムーンサルト?!いつか、こんな離れ業ができる体になれるよう、もう暫し精進してまいりましょう。

●「日永」と「遅日」の違いとは?(上級者向け)

日永なりあの猫来ない夕間暮れ たま
終業の煙草を吸いに出る日永 ポメロ親父

 別に飼っているわけでもない野良猫、なのに毎日餌を漁りにくる野良猫、そんな野良猫に時々餌を放っておいてやるんだろうな、この人は。
 仕事場の中では煙草が吸えないというご時世を呪ってみたところで仕方がない。時代の形に己を入れ込んで生きていくのが小市民ってヤツだよな。終業の合図で戸外の喫煙場に歩き出す人の俯きがちな背中が見えてくるよな。
 この二句の言わんとすることに、大いなる共感を持ちます。「地」十句に入れたいぐらいだったのですが、「日永」と「遅日」の違いに思いが至った時、うううーむ…と考え込んで仕舞いました。春になって日が永くなってきたなあという茫洋とした思いが「日永」ですが、「遅日」はその感覚の中の「日暮れが遅くなったよ」という部分を抽出しているのではないかと思うのです。そうなってきたときに、「夕間暮れ」「終業」という言葉は、これでいいんだろうか?と悩み始めました。が、だからと言って掲出句二句の季語を「遅日」にすれば良いという単純な話ではありません。季語の本意を深耕していくこともまた、本サイトで皆さんと共に体験したいこと。「日永」と「遅日」の違いとは?皆さんは、どう考えますか。

夏井先生

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