俳句ポスト365結果発表

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第35回 2013年9月19日週の兼題

秋祭

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天

水神の石を上座に秋祭
青萄
 今週の兼題「秋祭」については、「春祭」「祭(=夏の季語)」「秋祭」の違いを認識しなくてはいけないよね、という話題がちらほら出ておりました。
 【春祭=その年の豊作を祈願するものが多い】
 【夏祭=疫病・災厄などをはらう祈願から発生したものが多い】
 【秋祭=秋の収穫を神に供えて感謝する祭り】
このように並べてみると、なるほど納得できますね。五穀豊穣を神に感謝する「秋祭」という季語の本意をどう表現するか、そこが工夫のしどころだったわけです。今週の「天」に推す一句には「水神」という言葉が出てきます。稲作には切っても切れない重要な神でありますね。
 「水神の石を上座に」に据えるとは、一体「秋祭」のどんな場面でしょう。私が想像したのは御旅所です。【神社の祭礼で、祭神が巡幸するとき、仮に神輿(みこし)を鎮座しておく場所】を御旅所と言います。祭礼の日、神輿は何カ所かで休憩しますが、そこが御旅所となります。御旅所の一つは、村の辻に祀られた「水神の石」の前だったのでしょうか。町の消防団詰め所に祀られている「水神の石」かも?なんて想像も膨らんできます。
 汗にまみれた担ぎ手たちは、暫しの休憩がてら「水神の石」を「上座」として次々に座り込みます。ある者はそこに湧き出す水で顔を洗い、ある者は振る舞い酒を飲み、冷えた缶ビールを手にし、ここまでの無事な巡幸を喜び合います。
 氾濫することもなく今年の豊かな実りを支えてくれた「水神の石」に感謝する心が、「上座に」という表現にさりげなく読み取れるあたり、実に滋味のある巧さです。

地

地下足袋に金糸の刺繍秋祭り
てんきゅう
 「秋祭り=収穫、豊穣のイメージ」をどう表現するかという点において、この句が工夫したのは中七の色彩でしょう。「地下足袋」は本来労働のための地味なものですが、中七「金糸の刺繍」によって一気に華やぎます。労働の地下足袋から祭礼の地下足袋へ、一句全体が鮮やかに変容します。
雲散って秋の祭りになりにけり
木 よし
 なんと爽やかな語り口でしょう。「雲散って」の後に「秋の祭り」と続けば、その雲は波のような鱗雲に違いないと、読み手の心に映像が生まれます。「雲散って」秋の真っ青な空が広がり始めます。「秋の祭りとなりにけり」のゆったりとした措辞が、いかにも牧歌的な秋祭りの光景を描きあげます。
火の粉浴ぶ異形の神や秋祭
樫の木
 こちらは「水神」ではなく火の神でしょうか。いやいや、「火の粉浴ぶ」としか言ってないですから、火の神だと限定する必要はないでしょう。同じ稲作をする国の「異形の神」かもしれないなと想像しました。秋の実りを感謝する「秋祭」もまた、異国の趣きなのだろうと。中七「や」の詠嘆する「異形の神」の激しい姿が、季語「秋祭」をひと味違ったものに見せてくれます。
秋祭あとの星増えゆくふしぎ
大塚めろ
 独特のメロディーをもった一句ですね。一語一語がうねるように次の語へつらなっていく調べが、一句の内容に見合っているのが魅力です。
 「秋祭り」が終わったあとの空には一気に「星」が「増えゆく」んだよねってことは、ひょっとすると皆知ってるんだけど、それを「ふしぎ」だと感じるのが詩人の感性で、それを的確に17音の器に盛りつけられるのが俳人の技術。五七五を越えた一行詩のような味わいの一句です。
鎌鍬の泥を落として秋祭
はまゆう
 上五中七の措辞はことさら珍しいものではありません。が、下五に季語「秋祭」が座ったとたん、「鎌鍬の泥」を落とす動作は、日常のそれではなく、特別な感謝を捧げる行為へと変容します。
 私は、宵宮の夕暮れを思いました。稲刈りも終わり農事も一段落して迎える「秋祭」は、いよいよ明日から始まります。
秋祭り田の神様を見送りぬ
ぽよむ@山に帰る「田の神様(たのかんさあ)」
 正直なところ「秋祭り」が終わって「田の神様」を見送るという伝承は日本中にあるわけで、その内容にオリジナリティーがあるわけではないのです。が、「田の神様(たのかんさあ)」という呼び名が実にいいですね!「たのかんさあ」という響きが、その背後にある豊かな伝承の世界を想像させます。どの地域の方言なのだろうと、そんな興味も広がります。
秋祭そろそろ天狗出るころか
ポメロ親父
 「天狗」とは、「秋祭」のお練りの役どころであるのか、日本昔話に出てくるような「天狗」なのか。どちらに読めば一句にとってシアワセかなあ~と色々考えたのですが、どちらかに限定しないのが、この句を最も豊かにする読みだ!と思い直しました。
 「天狗」の面をつけ「秋祭」の行列の前を後を歩いている「天狗」役の人物、「そろそろ」この界隈に現れてもいい時間なんだがなあ~なんて待ってる感じ、楽しいですよね。「天狗」の面を取れば、そこにあるのは親しい知人の顔。振る舞い酒の一杯でも饗さねばと待っているのかもしれませんね。
 かたや、虚の世界に跋扈する「天狗」殿は、「秋祭」の夕暮れ方になると、何やら悪さをしに「出る」んだよな……って感じでしょうか。「出るころか」のつぶやきは、こっちの読みの雰囲気だなあ。
 そんなことをあれこれ想像していると、たった一句に立ち止まったまま愉快な時間があっという間に過ぎていきます。
秋祭りごろごろ産んだ子集まる
果林
 ははは!「秋祭り」になると、「子」どもたちが故郷に帰ってくる!というだけのことなんだろうけど、「ごろごろ産んだ子」という表現の無造作な可笑しみ、「ごろごろ産んだ子」がさらに「ごろごろ産んだ子」を引き連れて帰ってきそうな愉快。豊穣なる「秋祭り」ならではの爆笑の一句であります!

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