- 茸と呼べる大きさぎりぎりの小ささ
- 羽沖
- こんなばかばかしいことを述べたものが俳句なのかと受け止める人もいるかと思いますが、松茸でもなく榎茸でもなく椎茸でもない、敢えての兼題「茸」に対する把握として示唆に富んでいます。
例えば、カマキリが孵化してくる時、あんな小さいのに全部がちゃんとカマキリの形をしていることにささやかな感動を覚えますが、「茸」はちょっと違うのですね。「茸」はキノコだと判断できる形になって始めて「茸」だと認識できる。「茸と呼べる大きさ」なんだけどこんな「小ささ」だという発見を「ぎりぎり」の一語が繋ぎます。しかも種類を超えて全ての「茸」に当てはまる詩的定義。「ぎりぎりの小ささ」という措辞は映像としても成立。コロンブスの卵のような一句であります。
同時投句「命日にかならず生えてくる茸」も感慨深い作品。
- 茸ほつほつ菌糸が痒い御神木
- いしはまらんる
- 「茸」が生えている木は「痒い」と感じているのではないか、という発想の句がなかったわけではありません。が、「茸ほつほつ」という擬態語、「菌糸」と具体的に述べ、さらに「御神木」の一語によって大木であることも分かる。発想を生かすために、丁寧な言葉選びができています。
同時投句「茸ヨ茸ダレニモイフナ家ヲ捨ツ」「茸ひそひそ夜半に倒れる木のうわさ」の発想もいい。
- 茸累々人に濡れている部位
- 小泉ミネルヴァ岩魚
- 「茸」を人間の「部位」になぞらえる句もそれなりにありました。が、具体的な部位をそのまま書くのではなく「濡れている部位」とそれらの共通項を書くことで詩に昇華させる。このあたりが巧いのです。上五「茸累々」からの展開もまた。
同時投句「いま鼻で笑うたはだれ茸山」「窮と鳴くくさびら錫杖に刺され」も生々しい虚。
- 眠ってはだめよ茸の甘い息
- 古都ぎんう
- 「茸」という生き物は、肉体を感じさせるのかもしれません。擬人化した句も多かったのですが、「眠ってはだめよ」はまるで雪女の言葉のようでもあります。「茸」の匂いを「甘い息」と表現。毒茸を食べてしまった男は、「茸の甘い息」に捕らわれてうっとりと死んでいくのかもしれません。
同時投句「くさびらへ猪の鼻先猿の指」 鳥獣戯画みたいな味わい。
- 図鑑ほど茸垢抜けてはいない
- 蟻馬次朗
- なんとも率直な一句。「図鑑」の写真はこんなにきれいなのに、目の前のそれは「垢抜けていない」。ほんとに同じキノコなのかと、「図鑑」を手に何度も眺めているのでしょう。これもまた実感。
同時投句「万葉のもりに茸がこんなにも」万葉の一語に悠々たる気分。
- ことごとく図鑑に載つてゐぬ茸
- 板柿せっか
- 「茸」を採ってきて、どれが食べられるキノコなのか、調べているのです。「図鑑」片手に茸山吟行に出かけたのかもしれませんね。前出句のように「図鑑」と比較する、揚出句のように「図鑑」に載ってないという発想の句もそれぞれありましたが、この句の眼目は上五「ことごとく」です。幾つも幾つもある「茸」の全てが、という状況がこの一語で分かる。派手な色、変わった形の「茸」が沢山ある様子がありありと想像できます。
同時投句「ぬまは月きのこは星のにほひかな」美しい詩句。
- 石突は殯の名残茸生ふ
- 古田秀
- 「石突」とは「いしづき」と読みます。茸の軸の下方の固い部分をいいます。「殯」は「もがり」と読みます。辞書には以下のように解説してあります。【殯とは、日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。 その棺を安置する場所をも指すことがある。】
意味が分かると納得しませんか。「茸」の軸の下の固い部分は、死を確認するためにずっと残していたものだというのです。そこから新しい命が生えてくる。命の循環というものに思いを馳せる。これも天に推したかった作品です。
同時投句「茸山や仄かに熱き野営跡」「修験者とすれ違ひたり茸山」実景がみえてくる茸山。
- 茸食み油田の燃えているニュース
- 灰色狼
- 淡々と「茸」を食べているのです。テレビでは「油田の燃えているニュース」が流れています。その映像を見ているうちに、ガソリンが燃える時の熱や臭いが生々しく立ち上がってきたのかもしれません。その瞬間に、「茸」の噛みごこちや匂いが違うものに感じられてきたのかもしれぬと、ささやかな深読みも。
- 美しき茸の毒と妻の耳
- 亀田荒太
- 「美しき茸」という言葉もかなりありましたが、「妻の耳」との取り合わせに独自性があります。「美しき茸」には強烈な「毒」があり、「妻の耳」も地獄耳という強い毒をもっているよ、という夫の実感かもね(笑)
同時投句「茸摘む嫌ひな奴は死ねばいい」率直な悪態に、苦笑しつつ共感。
- 茸裂く母は自分のことばかり
- be
- 「茸」を裂いているのは、作者でしょうか、「母」でしょうか。お互いに焼けた「茸」を裂きつつ、食べつつ話しているのでしょう。「母」の話題はいつも「自分のことばかり」。自己を中心に地球は回っていると考えるタイプの母。小さなため息に「茸」がツンと香ります。
同時投句「秘め事は茸を狩りし左手で」妖しさの左手。
- 茸スープ熱し皇帝は死んだ
- ぐでたまご
- 「茸スープ」が熱いということと、「皇帝は死んだ」ことが並列の型で書かれているだけですが、読み手は脳内で関連づけてしまいます。「皇帝」はきっとあの日の熱い「茸スープ」で暗殺されたに違いない、と。世界の歴史において、こんな「皇帝」もいたに違いないと思わせられます。そしてこの「茸スープ」は死と交換されるほど美味であったに違いないと。
同時投句「恋をしたやうな茸探すやうな」「超新星爆発はるか茸ひらく」味わいの違う二句。