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DIARY

季語深耕部 byハイポニスト その②

2025.09.24お便り

兼題「終戦記念日」に関するお便りを紹介します。
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●兼題「終戦記念日」に寄せて。8月の兼題は「終戦記念日」、終戦の俳句と言えば、戦没者・戦死者への慰霊、特攻や人間魚雷などの非人道、空襲や原爆などによる無差別大量殺戮、弾圧、捕虜、抑留、引き揚げ等々の戦争にまつわる人々の苦しみ、悲しみを取り上げたものが多数を占める。その先に戦争反対、平和の希求、平和の喜び、などが続くのだが、私はもう少し違う視点で終戦を詠みたいと思う。一言で言えば「戦争責任」だろう。何故戦争は起こったのか、何故戦争を防げなかったのか、何故戦争を早く終わらせなかったのか、こういう視点で「反戦」の意志を明確に俳句に遺すことは、戦中に生まれ、戦争経験こそないが、戦後のどさくさを生き延びてきた、私たち世代の大きな責任だと思っている。反戦を前提に、戦争の本質を鋭く突いて、明確な俳句としたのが「渡辺白泉」。彼は、1913年生まれ終戦時は32才、もちろん戦争にも応召されている。〈戦争が廊下の奥に立ってゐた〉〈銃後といふ不思議な町を丘で見た〉〈玉音を理解せし者前に出よ〉などが渡辺白泉の有名な俳句。無季俳句を推進した彼だからこそ、できる俳句なのかもしれない。戦争は人間に、あらゆる悲劇をもたらす。そして人間は反省もせず、未だに至る所で戦争をし続けている。戦争でその罪を裁かれるのは敗者だけ、勝者だって多くの罪を犯しているが、それは裁かれないのが戦争なのである。だからこそ人は戦争に勝ちたいし、負けたくないのだ。我々は理由が何であれ、戦争を始めた者、戦争を受けて立った者たちを糾弾し、また一人の人間として常に、自らをさえ鋭く監視する目を持ち続けなければならないのだ。/佐藤烏有
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※たくさんのお便りありがとうございます♪ 皆で楽しく読ませていただいています。
写真タイトル:秋山兄弟生誕地

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