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DIARY

物事を五感でどう捉えるか

2026.01.30お便り

お便りを紹介します。
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●「心・技・体」という言葉がある。これは運動やスポーツに限らず、人間のやること全てに言えるのではなかろうか。俳句における「体」とは経験、遭遇、出逢いなどの外界に起こる物事を、五感でどう捉えるかという事だ。この体感覚を常に研ぎ澄まさないと良い句は書けない。「技」は捉えた物事をどう表現するか、どう伝えるかという「技術」である。この句会でも「表現力」という技は確実にみなの中で日々確実に進化して来ていると思う。ただ最近、参加者の関心が余りにも「技」に偏り過ぎて居はしまいか、という懸念がない訳ではない。それはともかく俳句に於ける「心」は、「気づき」も入るが、言ってみれば物事への「注意力」、「感受性」、更には「詩心」というものだろう。これは「技・体」と違って、磨けば必ず光るというものではない。はっきり言ってむしろ「天性」のものと言ってよい。だからこそ「誰にでもある」と言えばあるが、ただ感性は人によって違うから、多くの人の共感を得やすい「心」もあれば、少数の人にしか伝わらない「心」もある。しかし、「心は磨けない」という事ではない。なぜなら俳句の「心」は体の内面から湧き出て来るものだが、逆にある日「天から降って来る」ものでもある。それは人にとって「運」そのものかもしれない。その「運」を自分で掴み取る「心」が無ければ、「運」はただ通り過ぎて行くだけだ。アインシュタインなどは科学者以前に、発想力豊かな極々希少な「詩人」であったのではないかと私などは思っている。彼にとっての詩とは「数式の表す美」そのものだったのだろう。多くの人にとって「運」を掴み取れる「心」を、自分なりに養う不断の努力というものが大切なのだろう。「理屈や能書きばかり並べてないで、もっと早く俳句を上手くなれ」という声なき声を心で聞きながら……私はただ自分の思うことを言葉にして表すのが好きなだけなのです。/佐藤烏有
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※たくさんのお便りありがとうございます♪ 皆で楽しく読ませていただいています。
写真タイトル:白猪の滝

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