お便りを紹介します。
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●先日の「お便り」で、私は、当会の選句は最近「捻り」より「個性」が重視されているようだと書きました。この「個性」という言葉、一般的には「独自性」とか「その人らしさ」と、その意味は誰もみな知っているのですが、では「自分の個性とは一体何なのか?」と、他人に問われ、あるいは自問してみても、即答できる人はほとんどいないのではないでしょうか。自分の性格、思想、価値観などはみな自分で分かっているものなのですが、では、例えば俳句を作る時にその「個性」がいつも句の中に、自然に現れているとも思えません。なぜなら、ものを「作る」に当たっては、必ず「作意」というものが働きます。その作意が不自然な「個性」らしきものを無理やり作り出しているのかも知れません。先日も書きましたが「個性とは出すものでなく、出るものだ」という言葉がそれを物語っているのです。即ち本当の「個性」とは自分が意識するというよりも、他人から言われて初めて自分が気づくものだという事なのです。作句するときは考えて、工夫してしまうので、当然と言えば当然なのかもしれません。やはり「個性を出したい」という気持ちがそうさせるのでしょう。では具体的に何をどうすれば「個性は出るもの」になるのかと考えました。 私の現時点での結論はこうです。俳句を前にして言葉を考えるのではなく、普段自分の身の回りの事物から五感で気づいたこと、あるいは脳裏に閃いたこと、または偶然心に響いた言葉などを文字として、その場で直ぐに、ともかくメモするのです。例えば「スプーンの作るカップの渦」でも、「腿に食い込む固い椅子」でも、「弔辞はみんな褒め言葉」でも、何でも文字にして書き留めるのです。すると関連性も何もない沢山の言葉の群れが貯まります。それこそが自分の「個性」を含んでいる言葉なのだと思います。 そして作句に当たって、季語が決まったら、それらのメモした言葉の山から、一見無関係とも思える幾つかの言葉を取り出して、つなぎ合わせるのです。そんなとき自分では意識していなかった、何か絶妙な面白い、他人から見て個性的と見える俳句が出来上がるのかもしれません。二句や三句で「個性」など見える訳はありません。 何十句も何百句も並べて初めて見えて来るのが「個性」だと思います。/佐藤烏有
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※お便りありがとうございます♪ 皆で楽しく読ませていただいています。
写真タイトル:道後温泉本館 外観(東側・夜)
写真参照元:https://dogo.jp/download

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