兼題「余寒」に関するお便りを紹介します。
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●今回の兼題は「余寒」。『角川俳句大歳時記 春』を開くと「暦の上では寒が明けて、春は迎えているものの、まだ残る寒さがあるという意」とあります。「寒が明けて」とありますが、「寒」といえば二十四節気の小寒~大寒の期間、今年は1月6日から2月3日までが「寒」の時期でした。「寒」は一年でも一番「寒い」時期とされています。俳句ポスト365の「募集中の兼題」(R6.2.10現在)を見てみると、余寒には「よく似た季語に『春寒』があるが、『春寒』は春に重きがあるのに対して『余寒』は寒さをより意識している感がある」とありました。河出書房の『新歳時記』、こちらでは簡潔に本意の違いを記してあり「『余寒』まだ冬が抜けきれぬ感じで、身がちぢこまっている印象。『春寒』まだ寒くはあるが、春の気持は確かに感ぜられる、ほのかな明るさ。」とあります。歳時記では以上の違いなのですが、自分はやはり「余寒」の「余」が気になりました。「余る」を『広辞苑』で引くと「必要量や容量をなどを越える。多すぎて残る。余勢が残る」とあります。ここでは「寒さの余勢が残る」というところでしょう。そして、誰が寒さを余らせているかといえば、冬です。「暦の上では春になったが、冬からの寒さの余勢が残っている」、というのが余寒かと考えます。冬からの寒さの余りですよ、と。暦の上では春となったけど、気持ちの中は冬のまま寒いのかもしれません。一方、「春寒」です。「春」は「草木の芽が『張る』」「田畑を『墾る』(はる)」「気候の『晴る』」(広辞苑)、これらが語源だとするなら、陽気が漲り、草木も勢いが出てきそうです。暦上はそんな頃であるはずの「寒さ」が春寒でしょうか。このように考えていくと、暦上同じころ(余寒も春寒も初春の季語です)の「寒さ」であっても、意味は違ってきます。『角川大歳時記』では、余寒については「余」の一字に「人の心の内側へ向けた視線が働いている」ともあります。一方で春寒は「春に寄せる心の働き」であり、「早春の景の空間的な広がり」、寒いけれども気持ちは陽へと向き、その分、周囲の景色も鮮やかに見えるかもしれません。
/千代 之人
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※たくさんのお便りありがとうございます♪ 皆で楽しく読ませていただいています。
写真タイトル:放生園・足湯
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