お便りを紹介します。
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●私の俳句は「独学自習」、しかしここに来て、俳句の本質的な何かが、まだ分かっていないのかもしれないと思い直して、遅まきながら、ネット上で幾つかの「句作の心がけ」的な記事を検索し読んでみました。ネットでは何人もの考え方が多彩に分かるからです。色々な見解、色々な見方がありましたが、共通することをまとめると、俳句は「考えるな、感じろ、3才の子供でも分かる俳句を」となります。要するに「理屈で俳句を追求するな」と言うのです。これは何も俳句に限らず、人間というものの本質に根差しているのです。例えば「会話」、誰もが母国語を理屈から学び始める者はいない、赤ん坊は家族の話を聞きながら2年もすれば自然に聞き、話せるようになる。これが「感じる」ことそのものです。次に「自転車」、誰もが自転車に乗ろうとする時、先ず技術を理屈で学ぶ者などいない、理屈抜きでやっていくうちに自然に体が覚える、これがまさに「感じる」ことです。俳句だって人間がやること。ともかくやっていくうちにその人なりの感じ方で「感じる」ように誰もがなる訳で、初心者に「自然体でいれば感じるよ」などと教えるのは「感じる」を自覚した人だからで、「どうすれば感じるようになるか」を言葉で他人に説明できるはずもないのです。
「感覚」とは理屈ではなく、その人だけが持つ「自覚」とでも言うべきものでしょう。「感じる」は理屈ではないのですが、俳句も「表現」についてだけ言うなら、これはやはり「理屈」であり「思考」だと思います。誰もが知る理屈だけでなく、それに加えて自分独自の表現法を確立すれば、それが一つの個性となるのだろうと思います。歌もそうですが、俳句も自画自賛ではなく「多数の共感」が必要、どんな俳句が共感を呼び、好まれるかは、一つの流行のようなもので、時代により変化していくものです。誰もが子供の心に戻ったからと言って、それだけでみんなの共感が得られる俳句が作れるというものでもないでしょう。全ての人の共感が得られるという俳句もないのです。しかし、ともかく「個性」は大切に、一見して「あ!! これは○○さんの句だ」とみんなが分かり、親しみを以て多くの人が共感できる、そんな個性的な俳句が詠めるようになれば、その人の俳句は「完成した」と言っていいのだと思います。 /佐藤烏有
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※たくさんのお便りありがとうございます♪ 皆で楽しく読ませていただいています。
写真タイトル:道後温泉本館 (保存修理工事前) 外観・南(昼)
写真参照元:https://dogo.jp/download