俳句ポスト365 ロゴ

DIARY

「つき過ぎ」という言葉

2025.10.01お便り

お便りを紹介します。
***************************
●俳句の批評で、よく「つき過ぎ」という言葉が遣われる。私も俳句を始めた頃は、まさにこの「つき過ぎ」の俳句を詠み続けていた。いやいや今でさえそうかもしれない。「つき過ぎ」は「近過ぎ」と言ってもいい。俳句は「風が吹く」の「吹く」のように、無用で無駄な言葉は極力省くのが基本なのだが、「つき過ぎ」はこれと少し違うのである。俳句の構成法には大別して「一物仕立て」と「取り合わせ」(二物衝突)がある。どちらの場合でも言葉の選択に於けるイメージとして、馴染み過ぎというか、似合い過ぎというか、近過ぎるというか、そういう「ありふれた」言葉の取り合わせを俳句は嫌うのである。例えば「海に鴎」、「空に雲」、「梅に鴬」、「竹に雀」等もそうかもしれない。これは「物と物」だけでなく、「台風と水害」、「夕焼けと鐘の音」など「物と事象、事象と事象」でもある。季重なりは問題外としても、要するに誰もが当たり前にイメージする物事と言葉の組み合わせは、如何にも「平凡」で、人の想像の余地とか、イメージのふくらみを産まないのである。俳句としてはそれなりに成立していても「並選」や「凡人」と評価される俳句の要因の多くは、ここにあるのだろうと私は思う。何も新しい言葉を創造する必要もないし、普段は見かけない特異な言葉を無理に探す必要もない。組み合わせとしてちょっと意外な、しかし大きな違和感のない、それでいて「何かこの句にとって意味深そうな」そういう言葉の取り合わせを選び出すこと、これも「俳句表現として一つの上級の技」であろうと思われる。ただ「つき過ぎ」を避けたつもりの「離れ過ぎ」は、一般的には「意味不明」として一蹴されかねないので要注意ではある。/佐藤烏有
***************************
※たくさんのお便りありがとうございます♪ 皆で楽しく読ませていただいています。
写真タイトル:松山市立子規記念博物館のへちま棚

カテゴリー

月別アーカイブ

投句はこちら