俳句ポスト365 ロゴ

DIARY

AIで良い俳句が生まれたとしても

2026.03.05お便り

お便りを紹介します。
***************************
●「創造・創作・創意とは何か?」この言葉を「誰にもできない、自分にしかできないことをやる」と解釈するのは誤解だし無理がある。そうではなくて、人間の誰もやっていなかったことを「初めてやる」のが「創造」なのである。人間の誰かが何かを初めてやれば、大抵はそれを真似して大勢がやるようになる。結果から言えば、誰にでもできるはずのことを、初めてやった人を「創造者」と呼ぶのである。多くはその後、色々な人たちがそれを真似して継承し改良、改革をしてゆく。それは言ってみれば「物真似」の延長線上に現れて来る進化に過ぎない。俳句もその通りで、芭蕉や子規はあくまで「創造者」ではなく「改革者」である。 五七五七七の連歌のお遊びから、五七五だけを取り出し、初めて一つの詩の纏まりとして捉えた人が俳句の創造者、創始者である。 それは多分一個人ではなかったのだろう。俳諧・俳句はその改革の過程で発展して来たものであり、彼らも含め現代の私たちはみな、創造者の「物真似」をしながら、そのことを楽しんでいるに過ぎないのである。我々が普通に「創造・創意・創作」と呼んでいるのは、本来「個性・独自性・意外性」と呼ぶべきものなのだ。ところで今、AIの進歩は凄まじいものがある。美術や文芸においてすらAIの力は無視できないものがある。トゥルーなのかファクトなのか区別がつかない作品はいくらでも生成AIで作れる。 例えば文字作品なら、何かの標語や、文芸、果ては論文に至るまで、募集に当たっては「AIを使用した作品は認められません」と断りを入れるような時代になっている。俳句だって季語とか、事情・情景・言葉などを伝えると、AIがもっともらし作品を提示してくれる時代はすぐそこまで来ていると言ってもいい。将棋だって今や人間とAIが、AIとAIが闘っている。しかしよく考えてみると、全ての「作品」と称されるものを評価しているのはあくまで人間なのである。作者がたとえAIであったとしても、作品の善し悪しは人間が決めているのである。作者がAIだと判明したなら、AIを褒めるべきであり、作品にケチをつけると言うのは如何なのだろうと、私などは思ってしまう。それでも私はAIの力を借りてまで、いい俳句を作ろうとは思わない。俳句は作る過程を自分自身の葛藤や苦しみ、そして完成の喜びを味わうことが目的なのであり、何の苦労もなく、良い俳句が生まれたとしても、作者にもたらす感慨は何もないと思うからである。AIは芸術の作者ではなく、批評家、評論家としての立場で有効なのだ。ただし「芸術」の分野では今のところ、邪魔で厄介な存在であるAIも人間生活の他のほとんどの分野では、大いに人類に貢献するものと思うので、その発展を願いたいとは思う。
「俳句ポスト365」のスタッフのみなさん、2026年新年明けましておめでとうございます。新年の始まりにまた、好き勝手な自説を「お便り」として投稿させて頂き申し訳なく思います。いつも通り、読み捨てておいてください。/佐藤烏有
***************************
※お便りありがとうございます♪ 皆で楽しく読ませていただいています。
写真タイトル:大街道商店街

カテゴリー

月別アーカイブ

投句はこちら