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DIARY

季語深耕部 byハイポニスト②

2022.04.26お便り

兼題「百千鳥」に関する季語の考察や体験をお寄せいただきました。
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●今回の兼題は百千鳥。手持ちの歳時記を見る限り傍題はありませんが、大漢和辞典には「百鳥(ひゃくちょう)」、大国語辞典には「百鳥(ももとり)」という言葉があります。それぞれ、数多くの小鳥、色々な種類の鳥を指すとされていました。そして、「千鳥」にも種名としてのチドリというだけでなく、多種の多くの鳥という意味があります。昔の誰かが「百」と「千」を合体でもさせて「百でも千でも済まないかもしれない、もっと多くいるぞ、『百千の鳥』だぞ」と思ったのでしょうか。語源は分かりませんが、万葉集には「吾が門の榎の實もり喫む百千鳥千鳥は来れど君はきまさぬ」(私の家の門の榎の実を、もぎ取って食べる数多の鳥。多くの鳥は来るけれど貴方はお越しになられない)とあり、1400年前にはあった言葉。前回の「雛祭」が1200年歴史を辿れたのに対し、今回は更に歴史の深いことばと出会うこととなりました。歴史に畏敬は示しながらも、五音の季語です。「百千鳥」に合う(二物衝撃から読みが広がっていく)十二音を作り、季語を上の句か下の句に置くのが自分の実力では妥当かなと思いました。しかし、ここで疑問が。十二音を作るとして、「百千鳥」と組み合わせるのに相応しい十二音はどんなものなのでしょう。「囀」に季語を動かしても通用するような十二音は避けたいところです。歳時記によれば百千鳥は「様々な鳥が競うように鳴く」様子だそうです。何を競っているか。百千鳥の次の項に「囀」があり、オスからメスへの呼びかけであり、縄張りの主張をしているとのこと。これらの集合体が百千鳥でしょうか。そこで、俳句歳時記に挙げられている、囀と百千鳥の例句を比べてみたところ、百千鳥の方がスケールが大きく、より空間的に大きさがある季語と感じます。状態であり、状況を示す季語と感じました。囀の方は叙情的で、繊細な気持ちを乗せやすいかもしれません。例句を鑑賞したところ、「頭の中で句を作ると類想の網にかかる」のは確実そうなので、出掛けることとしました。句を作るにあたっては、以下のことを気を付けました。(どこの?)どこで数多の小鳥の動きを見て聞いているのでしょうか。山、丘、森林、野原、湖、川辺、庭、町中、公園、田圃、畑、建物の中などなど、どこを選んでも類想になりそう。ならばそれらの場所にある、限定的な場所なら?森を歩いてる?無人駅?廃校?たぶん頭の中で句を作るとそういうものの網にかかってしまうことでしょう。(どこに視座を置くか、動かすか)歳時記の例句「百千鳥雌蕊雄蕊を囃すなり(飯田龍太)」。この句は「囃す」+「なり」で、詠み手が「囃すように聞こえた」と言っています。句の視座は詠み手であり読み手で、地上からの光景。カメラは沢山の鳥を捉えてるところから、多くの草木が映るように引いていく感じ。例句「おのづから膨るる大地百千鳥(村越化石)」こちらは、地上の詠み手の視座だけでなく、「おのづから膨るる大地」を観察できる俯瞰的視座も感じられます。というのも、鑑賞をするにあたり、大地が膨れる→季語百千鳥と出会う→再び上五から読み直すと百千鳥の高さから大地を見下ろす、というカメラワークで読んだからです。旅番組でドローンで近景から飛び上がり、風景を見下ろす映像があったりしますが、あんな感じを受けました。地上から空中へと視座を固定するだけでなく、動かしてみるのも可能かもしれません。(沈黙との比較)囀りにしろ百千鳥にしろ、聴覚に刺激を受ける季語です。また、数に差はあれ、囀ずる鳥の動きも視覚的に感じられますね。では、どこで百千鳥が発生しているのか?「本来音がするところなのに、沈黙があったり、無人の状況がある」と、考えていくのもありえるかもしれません。しかし、この方向で句を作る場合でも危険な部分はあると考えます。たとえば、囀の例句「囀やピアノの上の薄埃(島村元)」という句を「百千鳥ピアノの上の薄埃」としてみます。何か違和感を覚えます。音域の広いピアノとはいえ、一つの楽器です。百千鳥の中にあっては一台のピアノの音が負けそうな気もします。百千鳥がいろんな種の鳥が入り乱れ飛んでいるなら、色んな楽器が活躍する、交響楽団、吹奏楽部等と比較するべきとなるでしょうか。音楽関係とは違くとも、いつもはお喋りな人が黙っているというレベルでなく、普段は人でごった返しているスクランブル交差点とか、商店街などが何故か静か、という広い光景と比較した方が良いかもしれません。また、過去は人がいたがいなくなった場所(廃村や過疎の村、ダム、廃校など)との比較はベタでしょうし、如何にも鳥が沢山いそうな、田舎、無人駅等との取り合わせもベタかと。頭で作るとたぶんこういう取り合わせができがちな気がしました。(感覚との取り合わせ)季語以外の何を感じながら季語を実感したか。百千鳥は特に聴覚と視覚に訴えかけてくる季語かと思います。これらの感覚の逆に進んでいく発想も類想としてありそう(百千鳥の盛んな声が聞こえるけど、見上げたが光が眩しくて見えないとか、鳥が沢山いるのが見えたので、イヤフォンを外したとか)。また多くの鳥の恋の囀りや縄張り争いをしてるのならば、連想力も持ってそう(沢山の鳥達がいるのに自分は孤独だとか)。外に出て、その時がいつか。誰と、なにをしながら、季語を感じたかを句にした方がオリジナリティが出そうです。案外触覚や味覚、嗅覚と組み合わせてみるのも一つかも知れません(沢山の鳥の声を聞きながらお弁当食べてたりとか)。以上を踏まえて句を作った内、二句を投句致します。/千代  之人
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※たくさんのお便りありがとうございます♪ 皆で楽しく読ませていただいています。

写真タイトル 道後公園
写真参照元 https://matsuyama-sightseeing.com/media/gallery/

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