お便りを紹介します。
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●俳句というものが少しずつ分かるに連れ、夏井先生の選評を読みながら、俳句は本当に難しいと思えるようになってきました。普通に作れば俳句などいくらでも出来ますが、良い俳句を詠むためには、考えなければならないことが山ほどあります。そういう多数の難関を全てクリアし、その中でも特に選りすぐられた作品が「名句」と呼ばれ、後世に残されて行くのだなと、つくづく思います。そういう多数の難関の中でも、二大難関は「季語」と「詩」です。季語について言えば、俳句の季語はいつも主役、だからこそ「季語が立つ、季語を生かす、季語が動かない」ということを言います。俳句の季語は、その言葉でなくてはならない「必然性」が求められます。私の句などは「別の季語に置き換えても、大して変わりはしない」と言われてしまうようなものばかりでした。それこそが「季語が動く」と言うことなのです。「季語の本意」ということも良く言われます。季語の内包するその本当の意味をどこまで知って、どこまでそれを生かせるかということなのでしょう。上っ面だけで置いた季語では、深い作品にはならないということです。そして「詩」、これは「詩情、詩心、詩語」であり、季語以上に大変に難しい。「季語」はある意味、知識論・技術論ですが、「詩」は完全に精神論・感覚論です。その人の人生、生活、経験でもあり、生まれ持った「天賦の才」に由来するものでもありましょう。今の私など一見「詩的」と思える言葉を、こそっと添えてみても上滑りするだけで、取って付けたような俳句しかできないというのが、今の正直な気持ちです。ただ、あくまで「詩」の才能は自分にもあると信じます。それを発揮できるかどうかは、自分の努力次第。たとえ人より遅くとも才能があればいつか花開くこともあるはず。そのために何をどうすればよいかは、これからじっくり考えたいと思います。残された時間はそんなに多いわけではないですが、俳句を続ける以上、学び、考え、実行し、失敗し、反省し、それを繰り返し、諦めず努力をしたいと思います。 /佐藤烏有
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※たくさんのお便りありがとうございます♪ 皆で楽しく読ませていただいています。
写真タイトル:愛媛県美術館
写真参照元:いよ観ネット