お便りを紹介します。
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●「リアリティ」とは何だろう? 日本語で言えば「現実感、真実性、迫真性」、意味とすれば「本物のような実感、現実性」だと辞書にはある。言っていることは全て「感」とか、「性」とか、「のような」という言葉で表されているように、事物、事象そのもののことではなく、それに反応する「人の感性とか感情」という「概念」が「リアリティ」なのである。よく俳句は作者の実体験に基づくものが「リアリティ」がある、という言い方をされる。更に言うと実体験でないものは「真実味が薄い」とか、もっと言えば「虚構、空想、嘘」などと云い捨てられることさえある。しかし「リアリティ」という言葉の意味をよく考えてみると、「リアリティ」そのものが「実」なのではなく、「実」を取り巻く「虚」とか「影」を指しているのが「リアリティ」だと言っても間違いではないのかもしれない。確かに自分自身の体験とか経験とかは、自分にとって自覚的な体感として「感じる」ものであることはその通りであろう。しかし他者を経由した体験、経験に対しても、その事物・事象に反応して感じている自分がそこにいるならば、そこに「リアリティ」は存在し得ることになる。要は俳句を受け止める読者が、その俳句に何を感じるかが「リアリティ」の根源なのであって、作者そのものが自覚している「実」とは異なることも、当然あると言うことなのである。俳句に限らず芸術そして文学などの全ては、制作そして公表された段階で作者を離れ、受け手夫々のものとなる。俳句の「リアリティ」の「実」を作り出しているのは、本当は作者ではなくて、作者のそれを頭の中で追体験している「読者夫々」なのだと言っていいのかもしれない。 /佐藤烏有
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※たくさんのお便りありがとうございます♪ 皆で楽しく読ませていただいています。
写真タイトル:鹿島