俳句ポスト365 ロゴ

中級者以上結果発表

2021年9月20日週の兼題

蓑虫

【曜日ごとに結果を公開中】

秀作

  • みのむしに好かれて部活行けません

    げばげば

    選者コメント

    夏井いつき

     「部活に行けません」という理由を述べてみるのも、俳句のタネです。本当の理由は他にあるわけですが、「みのむしの好かれて」はいかにも嘘っぽい理由。しかし、部活に行けない理由を詩にするためには、虚の理由のほうが巧くいきやすいのです。

     例えば「風邪」引いたので部活に行けません、では、部活休み届けの文言に過ぎなくなりますよね。部活に行きたくない気持ちと、「みのむし」をずっと眺めている状態。これを「みのむしに好かれ」たから、と虚の理由にしてしまえば、詩になる。これも秀作への道の発想です。

  • 蓑虫ざらり伝書鳩がうるさい

    綾竹あんどれ

    選者コメント

    夏井いつき

     一句に生き物を二つ入れるのは難しいのです。お互いを殺し合ってしまうことが多いからです。

     が、かたや「蓑虫」の「ざらり」という感触、かたや「伝書鳩」がしきりに鳴く声。触角と聴覚で並べることで、その難しさをうまくクリアしました。さらに、蓑虫は孤独に寂しくぶら下がっているのみの無為、伝書鳩は人間の役に立つという有為という対比も企んでいます。

  • 蓑虫の枯れて恐竜博出口

    けーい〇

    選者コメント

    夏井いつき

     蓑虫の蓑はまさに枯れているかのようですが、それが恐竜博の出口あたりにぶら下がっているのです。さっきまで見ていた恐竜たちの中には、蓑虫のような色合いのものもいたのでしょう。大きな恐竜と小さな蓑虫、滅んでしまった恐竜と今を生きる蓑虫。さまざまな対比が心をよぎりつつも、一句は淡々と映像を描いているのみです。さりげなく書かれていますが、着地が「入口」ではなく、「出口」であることも、良き隠し味です。
  • きりもみの蓑虫とばされはせぬか

    にゃん

    選者コメント

    夏井いつき

     蓑虫の一物仕立てですが、作者の心に浮かんだ「とばされはせぬか」という小さな心配の言葉が、そのまま一句になりました。

     「きりもみ」という一語の選択が、一句のリアリティを確保。いつもはぶら下がっているだけなのに、きりもみの風の中で「蓑虫」は大丈夫なのだろうか。たったこれだけの表現なのに、この日の風がありありと想像される。これが俳句なのです。

  • 蓑虫や昏きみづ吐く室外機

    いかちゃん

    選者コメント

    夏井いつき

     「蓑虫や」と詠嘆したあと別の方向に飛ぶのですが、結果的に付かず離れずの光景に展開するのが実に巧い。「蓑虫や」のあとに「昏きみづ吐く」と続けば、読み手の脳は、一瞬蓑虫が蓑からその水を吐き出しているかのように、受けとめます。これがサブリミナル効果となりつつ、昏き水を吐いているのは「室外機」なのだと着地。描かれた空間のどこかに、蓑虫もまた昏くぶら下がり、時折昏い水を吐いているに違いありません。
  • みのむしやひとはがらんだうのうつは

    ぐでたまご

    選者コメント

    夏井いつき

     「みのむしや」と上五詠嘆しておいて、人体へ飛びます。蓑虫の蓑を眺めていると、つくづく人間というのは「がらんだう」の器であるよ、と感じたのです。人体を通る管と、蓑虫の蓑の中を比較しての詩的発見と捉えることもできますし、人の心というものは……と心理的な感慨として読むこともできます。歴史的仮名遣いの平仮名表記が、一句の内容と響き合っていることも、良き企みです。
  • 蓑虫は母校の焼却炉のにほひ

    ありあり

    選者コメント

    夏井いつき

     蓑虫を嗅覚で捉えれば、と発想した作品です。母校の焼却炉の辺りによくぶら下がっていたな、という記憶があったのかもしれません。だからといって、母校の焼却炉の横の木に蓑虫がぶら下がっていた、とそのまま書いても秀作には届きにくい。「母校の焼却炉のにほひ」と嗅覚の比喩へジャンピングできるか否か。ここに、秀作への道があります。
  • 蓑虫や何が楽しくて東京

    ことまと

    選者コメント

    夏井いつき

     「蓑虫や」と詠嘆して、作者の心にある呟きがそのまま一句になりました。作者自身が、大都会「東京」に生きていると読んでもよいし、「東京」に出て行った家族や友人に対しての思いだと読んでもよいでしょう。中七「何が楽しくて」は、前者であれば自嘲、後者であれば心配、嫉妬、寂しさなど様々な感情が入り乱れてきます。

     孤独、寂しさ等の言葉をそのまま書くよりは、掲句のような呟きのほうが、心の状態が生々しく伝わる。これもまた秀作への道です。

  • 蓑虫は糸の長さを漂流す

    仁和田 永

    選者コメント

    夏井いつき

     「蓑虫」の「糸」を描いた句は他にもありましたが、その多くはぼんやりとしたイメージを描くに終わっていました。掲句は、蓑虫自身が吐く糸の長さ分を、蓑虫は漂流しているのだという発想そのものが詩です。

     また、蓑虫が糸一本で風に吹かれている様子を、「孤独」「寂しさ」などの抽象名詞で描こうとした句も沢山ありました。が、その方法を選んだことによって類想類句の沼にハマってしまう。掲句の、蓑虫の糸の長さ分の空間を漂流するという視点には、独自の発想がありつつ、それを映像化できる技術があります。助詞「を」の効果をしっかりと理解して使っているのも分かりますね。


  • 墓のうらまはれば横向きに蓑虫

    ほろろ。

    選者コメント

    夏井いつき

     一読、尾崎放哉の「墓のうらにまはる」(表記さまざまあり)を思い出します。所謂、本歌取りですが、これは実に難しい技法です。

     放哉の自由律俳句は、墓の裏に回ったという行動のみを書き、それ以上を語っていません。読者が何を読み取るか受け取るか、一種突き放しているわけですが、掲句は、想念の中で実際に墓の裏に回ってみたのです。すると、墓石にしがみつくように「横向きに蓑虫」が張り付いていた。放哉の投げたボールをキャッチし、自分なりのモノを発見している。俳人のリアリティをもった想像力から生まれた本歌取りの逸品です。

次回の兼題も
皆さまふるって投句してください。
お待ちしています!

投句はこちら