げばげば
綾竹あんどれ
夏井いつき選
一句に生き物を二つ入れるのは難しいのです。お互いを殺し合ってしまうことが多いからです。
が、かたや「蓑虫」の「ざらり」という感触、かたや「伝書鳩」がしきりに鳴く声。触角と聴覚で並べることで、その難しさをうまくクリアしました。さらに、蓑虫は孤独に寂しくぶら下がっているのみの無為、伝書鳩は人間の役に立つという有為という対比も企んでいます。
けーい〇
夏井いつき選
にゃん
夏井いつき選
蓑虫の一物仕立てですが、作者の心に浮かんだ「とばされはせぬか」という小さな心配の言葉が、そのまま一句になりました。
「きりもみ」という一語の選択が、一句のリアリティを確保。いつもはぶら下がっているだけなのに、きりもみの風の中で「蓑虫」は大丈夫なのだろうか。たったこれだけの表現なのに、この日の風がありありと想像される。これが俳句なのです。
いかちゃん
夏井いつき選
ぐでたまご
夏井いつき選
ありあり
夏井いつき選
ことまと
夏井いつき選
「蓑虫や」と詠嘆して、作者の心にある呟きがそのまま一句になりました。作者自身が、大都会「東京」に生きていると読んでもよいし、「東京」に出て行った家族や友人に対しての思いだと読んでもよいでしょう。中七「何が楽しくて」は、前者であれば自嘲、後者であれば心配、嫉妬、寂しさなど様々な感情が入り乱れてきます。
孤独、寂しさ等の言葉をそのまま書くよりは、掲句のような呟きのほうが、心の状態が生々しく伝わる。これもまた秀作への道です。
仁和田 永
夏井いつき選
「蓑虫」の「糸」を描いた句は他にもありましたが、その多くはぼんやりとしたイメージを描くに終わっていました。掲句は、蓑虫自身が吐く糸の長さ分を、蓑虫は漂流しているのだという発想そのものが詩です。
また、蓑虫が糸一本で風に吹かれている様子を、「孤独」「寂しさ」などの抽象名詞で描こうとした句も沢山ありました。が、その方法を選んだことによって類想類句の沼にハマってしまう。掲句の、蓑虫の糸の長さ分の空間を漂流するという視点には、独自の発想がありつつ、それを映像化できる技術があります。助詞「を」の効果をしっかりと理解して使っているのも分かりますね。
ほろろ。
夏井いつき選
一読、尾崎放哉の「墓のうらにまはる」(表記さまざまあり)を思い出します。所謂、本歌取りですが、これは実に難しい技法です。
放哉の自由律俳句は、墓の裏に回ったという行動のみを書き、それ以上を語っていません。読者が何を読み取るか受け取るか、一種突き放しているわけですが、掲句は、想念の中で実際に墓の裏に回ってみたのです。すると、墓石にしがみつくように「横向きに蓑虫」が張り付いていた。放哉の投げたボールをキャッチし、自分なりのモノを発見している。俳人のリアリティをもった想像力から生まれた本歌取りの逸品です。
次回の兼題も
皆さまふるって投句してください。
お待ちしています!
選者コメント
夏井いつき選
「部活に行けません」という理由を述べてみるのも、俳句のタネです。本当の理由は他にあるわけですが、「みのむしの好かれて」はいかにも嘘っぽい理由。しかし、部活に行けない理由を詩にするためには、虚の理由のほうが巧くいきやすいのです。
例えば「風邪」引いたので部活に行けません、では、部活休み届けの文言に過ぎなくなりますよね。部活に行きたくない気持ちと、「みのむし」をずっと眺めている状態。これを「みのむしに好かれ」たから、と虚の理由にしてしまえば、詩になる。これも秀作への道の発想です。